古文

徒然草『これも仁和寺の法師』現代語訳(1)(2)

「黒=原文」・「青=現代語訳

解説・品詞分解はこちら徒然草『これも仁和寺の法師』解説・品詞分解(1)

 

これも仁和(にんな)()の法師、(わらわ)の法師にならむとする名残とて、おのおの遊ぶ事ありけるに、

 

これも仁和寺の法師(の話であるが)、(寺の)子が法師になろうとするお別れということで、それぞれに歌ったり舞ったりすることがあったが、

 

 

酔ひて興に入るあまり、(かたわ)なる(あし)(がなえ)を取りて、(かしら)にかづきたれば、

 

酔って興に入るあまりに、そばにあった足鼎(=三本の足がついた釜)を取って、頭にかぶったところ、

 

 

詰まるやうにするを、鼻をおし平めて、顔をさし入れて舞ひ出でたるに、満座興に入る事かぎりなし。

 

(足鼎が頭の途中で)つかえるようになるのを、鼻を押して平らにして、顔をさしこんで舞い出したので、その場に居るみんなが面白がることこの上なかった。

 

 

しばし(かな)でて後、抜かとするに、おほかた抜かれず。

 

しばらく舞を舞った後、(足鼎を頭から)抜こうとするが、まったく抜けない。

 

 

酒宴ことさめて、いかがはせんと(まど)ひけり。

 

酒宴も興がさめて、どうしようかと途方にくれた。

 

 

とかくすれば、首のまはりかけて血たり、ただ()れに()れみちて、息もつまりければ、

 

(頭から抜こうと)あれやこれやすると、首のまわりに傷がついて血が垂れ、ただ腫れに腫れあがって、息もつまってきたので、

 

 

打ち割らむとすれど、たやすく割れず。

 

(足鼎を)たたき割ろうとするけれど、簡単には割れない。

 

 

響きて()へがたかりければ、かなはで、

 

(足鼎をたたく音が)響いて我慢ができなかったので、割ることもできず、

 

 

すべきやうもなくて、(みつ)(あし)なる(つの)の上に、帷子(かたびら)をうちかけて、手をひき杖をつかせて、

 

どうしようもなくて、(足鼎の)三足になっている角の上に、着物をかけて、手を引き杖をつかせて、

 

 

京なる医師(くすし)のがり、率て行きける道すがら、人のあやしみ見る事かぎりなし。

 

京にいる医者のところへ、連れて行った道の途中で、人々が不思議がって見ることこの上なかった。



(2)

 

医師のもとにさし入りて、向かひゐたりけむありさま、さこそ異様(ことさま)なりけめ。

 

医者の家に入って、(医者に)向かって座っていたであろう様子は、さぞかし異様なものであっただろう。

 

 

ものを言ふもくぐもり声に響きて聞えず。

 

ものを言っても、こもり声で響いて聞きとれない。

 

 

「かかることは文にも見えず、伝へたる教へもなし。」と言へば、

 

「このようなことは、(医学の)書物にも書かれてなく、代々伝わっている教えもない。」と(医者が)言うので、

 

 

また仁和(にんな)()へ帰りて、親しき者、老いたる母など、

 

また仁和寺に帰って、親しい者や、年老いた母などが、

 

 

(まくら)(がみ)に寄りて泣き悲しめども、聞くともおぼ

 

枕もとに寄り集まり座って泣き悲しむけれども、(本人は)聞いているだろうとも思われない。

 

 

かかるほどに、ある者の言ふやう、

 

こうしているうちに、ある人が言うことには、

 

 

「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらむ。

 

「たとえ耳や鼻が切れてなくなったとしても、命だけはどうして助からないことがあろうか。(いや、命だけは助かるだろう。)

 

 

ただ力を立てて引きたまへ。」とて、

 

ただ力を入れて引っ張りなさい。」と言うので、

 

 

(わら)のしべをまはりにさし入れて、かねを(へだ)てて、もちぎるばかり引きたるに、耳鼻欠けうげながら抜けけり

 

藁の(しん)を首のまわりに差し込んで、足鼎を(首から)隔てて、首もちぎれるぐらい引っ張ったところ、耳や鼻が欠けて穴があいたけれども、抜けたのだった

 

 

からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。

 

危ない命を拾って、(その僧は)長い間病んでいたそうだ。

 

 

解説・品詞分解はこちら徒然草『これも仁和寺の法師』解説・品詞分解(1)

 

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徒然草『これも仁和寺の法師』まとめ

 

 

 

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