前後の話がついたものはこちら『進んで赤壁に遭ふ(赤壁之戦)』原文・書き下し文・現代語訳
操遺二リテ権ニ書一ヲ曰ハク、「今治二メ水軍八十万ノ衆一ヲ、与二将軍一会-二猟セント於呉一ニ。」
操権に書を遺りて曰はく、「今水軍八十万の衆を治め、将軍と呉に会猟せん。」と。
※於=置き字(場所)
曹操は孫権に書状を送って、「今、水軍八十万の軍隊を引き連れ、将軍と呉にて決戦したい。」と伝えた。
権以ツテ示二ス群下一ニ。莫レシ不レルハ失レハ色ヲ。張昭請レフ迎レヘント之ヲ。
権以つて群下に示す。色を失はざるは莫し。張昭之を迎へんと請ふ。
※「莫レシ不レル(ハ)A(セ)」=二重否定(強い肯定)、「Aしないものはない」
孫権はこれを家臣たちに示した。顔色を変えない者はいなかった。張昭は、(降伏して)曹操の軍を迎え入れようと願い出た。
魯粛以ツテ為二シ不可一ト、勧レメテ権ニ召二サシム周瑜一ヲ。
魯粛以つて不可と為し、権に勧めて周瑜を召さしむ。
魯粛は(軍を迎え入れることは)できないとして、孫権に周瑜を呼ぶよう勧めた。
瑜至リテ曰ハク、「請フ得二テ数万ノ精兵一ヲ、進ンデ往二キ夏口一ニ、保シテ為二ニ将軍一ノ破レラント之ヲ。」
瑜至りて曰はく、「請ふ数万の精兵を得て、進んで夏口に往き、保して将軍の為に之を破らん。」と。
周瑜が到着して言うことには、「どうか数万の精鋭をいただきまして、進めて夏口に行き、責任もって将軍のために曹操を打ち破りましょう。」と。
権抜レキ刀ヲ斫二リテ前ノ奏案一ヲ曰ハク、
権刀を抜き前の奏案を斫りて曰はく、
孫権は刀を抜いて目の前にある上奏文を置くための机を切って言うことには、
「諸将吏敢ヘテ言レフ迎レヘント操ヲ者ハ、与二此ノ案一同ジカラント。」
「諸将吏敢へて操を迎へんと言ふ者は、此の案と同じからん。」と。
「将軍や役人たちで、あえて曹操を迎え入れようと言う者は、この机と同じになる。」と。
遂ニ以レツテ瑜ヲ督二セシメ三万人一ヲ、与レ備幷レセテ力ヲ逆レヘ操ヲ、進ンデ遇二フ於赤壁一ニ。
遂に瑜を以つて三万人を督せしめ、備と力を幷せて操を逆へ、進んで赤壁に遇ふ。
こうして周瑜に三万の精鋭を率いさせ、劉備と力を合わせて曹操を迎え撃とうと、進めて赤壁で遭遇した。
瑜ノ部将黄蓋曰ハク、「操ノ軍方ニ連二ネ船艦一ヲ、首尾相接ス。可二キ焼キテ而走一ラス也ト。」
瑜の部将黄蓋曰はく、「操の軍方に船艦を連ね、首尾相接す。焼きて走らすべきなり。」と。
※而=置き字(順接・逆接)
周瑜の武将の黄蓋が言うことには、「曹操の軍は今ちょうど船艦を連結して、船首と船尾とが互いにつながっています。焼き討ちにして敗走させるべきであります。」。
乃チ取二リ蒙衝・闘艦十艘一ヲ、載二セ燥荻・枯柴一ヲ、灌二ギ油ヲ其ノ中一ニ、裹二ミ帷幔一ニ、上ニ建二ツ旌旗一ヲ。
乃ち蒙衝・闘艦十艘を取り、燥荻・枯柴を載せ、油を其の中に灌ぎ、帷幔に裹み、上に旌旗を建つ。
そこで軍船・軍艦十艘を選んで、乾燥した荻や枯れた柴を載せ、油をその中に注ぎ、幕で包み、その上に軍旗を立てた。
予メ備二ヘ走舸一ヲ、繫二グ於其ノ尾一ニ。
予め走舸を備へ、其の尾に繫ぐ。
あらかじめ軽快な小舟を準備し、その船尾につないだ。
先ヅ以レツテ書ヲ遺レリ操ニ、詐リテ為レス欲レスト降ラント。時ニ東南ノ風急ナリ。
先づ書を以つて操に遺り、詐りて降らんと欲すと為す。時に東南の風急なり。
まず書状を曹操に送り、偽って降伏したいと申し出た。ちょうどそのとき、東南の風が強く吹いていた。
蓋以二ツテ十艘一ヲ最モ著レケ前ニ、中江ニ挙レゲ帆ヲ、余船以レツテ次ヲ倶ニ進ム。
蓋十艘を以つて最も前に著け、中江に帆を挙げ、余船次を以つて倶に進む。
黄蓋は十艘を先頭にして、川の中程で帆を上げ、その他の船は順序に従ってともに進んだ。
操ノ軍皆指サシテ言フ、「蓋降ルト。」
操の軍皆指さして言ふ、「蓋降る。」と。
曹操の軍では皆指さして、「黄蓋が降伏してきた。」と言っていた。
去ルコト二里余リ、同時ニ発レス火ヲ。火烈シク風猛ク、船ノ往クコト如レシ箭ノ。
去ること二里余り、同時に火を発す。火烈しく風猛く、船の往くこと箭のごとし。
(曹操の軍から)二里余りの所で、同時に火をつけた。火は激しく燃え風も猛烈に吹き、船は矢のように進んでいった。
焼-ニキ尽クシ北船一ヲ、烟焰漲レル天ニ。人馬溺焼シ、死者甚ダ衆シ。
北船を焼き尽くし、烟焰天に漲る。人馬溺焼し、死する者甚だ衆し。
北軍の船を焼き尽くし、煙や炎は空一面に広がった。人や馬はおぼれたり焼けたりして、死んだ者は非常に多かった。
瑜等率二ヰテ軽鋭一ヲ、雷鼓シテ大イニ進ム。北軍大イニ壊レ、操走ゲ還ル。
瑜等軽鋭を率ゐて、雷鼓して大いに進む。北軍大いに壊れ、操走げ還る。
周瑜らは身軽な精鋭を率いて、太鼓を打ち鳴らして進撃した。北軍は大敗し、曹操は逃げ帰った。
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