青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・解説=赤字
太行・王屋ノ二山ハ、方七百里、高サ万仞ナリ。本在二リ冀州之南、河陽之北一ニ。
太行・王屋の二山は、方七百里、高さ万仞。本冀州の南、河陽の北に在り。
太行山と王屋山の二つの山は、七百里四方で、高さが一万尋(=七万尺)もある。もともとは冀州の南、河陽の北にあった。
北山ノ愚公ナル者アリ、年且二ニ九十一ナラント。面レシテ山ニ而居リ、懲二シム山北之塞ガリテ、出入之迂也一ナルニ。
北山の愚公なる者あり、年且に九十ならんとす。山に面して居り、山北の塞がりて、出入の迂なるに懲しむ。
※「且ニニ ~ 一(セ)ント」=再読文字、「且に ~ (せ)んとす」、「いまにも ~しようとする/ ~するつもりだ」
(昔、)北山の愚公という人がいて、九十歳になろうとしていた。太行と王屋の二つの山を南にして家を構えており、(険しい山の北側でふさがれて、)出入りで回り道しなければならないことに悩んでいた。
聚レメテ室ヲ而謀リテ曰ハク、「吾ト与レ汝ラ畢レクシテ力ヲ平レラカニシ険ヲ、指-二通シテ予南一ニ、達二セン于漢陰一ニ。可ナル乎ト。」
室を聚めて謀りて曰はく、「吾と汝らと力を畢くして険を平らかにし、予南に指通して、漢陰に達せん。可なるか。」と。
※而=置き字(順接・逆接) ※于=置き字(場所)
(そこで、愚公が)家族を集めて相談して言うことには、「私はあなた達と力を尽くして山を平らにし、予州の南を目指して通れる道路をつくり、漢水の南岸まで道を通したい。どうだろうか。」と。
雑然リトシテ相許ス。其ノ妻献レジテ疑ヒヲ曰ハク、
雑然りとして相許す。其の妻疑ひを献じて曰はく、
家族は皆もっともなことだとして賛成した。愚公の妻が疑問を申し出て言うことには。
「以二ツテシテハ君之力一ヲ、曾チ不レ能レハ損二スル魁父之丘一ヲ。如二太行王屋一ヲ何セン。且ツ焉クニカ置二カント土石一ヲ。」
「君の力を以つてしては、曾ち魁父の丘を損ずる能わず。太行・王屋を如何せん。且つ焉くにか土石を置かんとする。」と。
※「不レ能二ハA一(スル)(コト)」=不可能、「 ~(する)(こと)能はず」「(能力がなくて) ~Aできない」
※「如ニ ~一ヲ何セン」=反語・疑問、「 ~を如何せん」、「 ~をどうしたらよいか。(いや、どうしようもない。)」
「あなたの力では、小さな丘を崩すことさえできません。ましてや太行・王屋のような大きな山をどうすることができましょうか。(いや、できないでしょう。)それに加えて、山を崩した土はどこに置こうというのですか。」と。
雑曰ハク、「投二ゼント諸ヲ渤海之尾、隱土之北一ニ。」
雑曰はく、「諸を渤海の尾、隠土の北に投ぜん。」と。
みんなは、「崩した土は渤海の端や、隠土の北の方に捨てましょう。」と言った。
遂ニ率二ヰ子孫ノ荷担スル者三夫一ヲ、叩レキ石ヲ墾レキ壌ヲ、箕畚モテ運二ブ於渤海之尾一ニ。
遂に子孫の荷担する者三夫を率い、石を叩き壌を墾き、箕畚もて渤海の尾に運ぶ。
ついに(愚公は)息子や孫たちを引き連れ、土や石を運ぶ者は三人で、石を打ち砕き、土地を切り開き、箕(み)やもっこを使って土や石を渤海の端の方へまで運んだ。
隣人京城氏之孀妻ニ有二リ遺男一、始メテ齔ス。跳リ往キテ助レケ之ヲ、寒暑易レヘ節ヲ、始メテ一タビ反ル焉。
隣人京城氏の孀妻に遺男有り、始めて齔す。跳り往きて之を助け、寒暑節を易へ、始めて一たび反る。
※焉=置き字(断定・強調)
愚公の隣人である京城氏の未亡人に遺児の男の子がいて、歯が抜け替わるぐらいの年齢(=7,8歳)になっていた。(その子も)勇んで手助けに行き、寒暑の季節が変わって、ようやく一度家に帰ると言った有様だった。
河曲ノ智叟、笑ヒテ而止レメテ之ヲ曰ハク、
河曲の智叟、笑ひて之を止めて曰はく、
黄河のほとりに住む利口な老人が、あざ笑ってこの作業をやめさせようとして言ったことには、
「甚ダシキ矣、汝之不恵ナル。以二ツテシテハ残年ノ余力一ヲ、曾チ不レ能レハ毀二ツ山之一毛一ヲ。其レ如二土石一ヲ何セント。」
「甚だしきかな、汝の不恵なる。残年の余力を以つてしては、曾ち山の一毛を毀つ能はず。其れ土石を如何せん。」と。
※「不レ能二ハA一(スル)(コト)」=不可能、「 ~(する)(こと)能はず」「(能力がなくて) ~Aできない」
※「如ニ ~一ヲ何セン」=反語・疑問、「 ~を如何せん」、「 ~をどうしたらよいか。(いや、どうしようもない。)」
「ひどいことだよ、あなたの愚かさは。老い先短い力では、山の草一本だって取り除くことはできない。ましてや、あれらの土や石をどうしようというのか。(いや、どうにもできまい。)」と。
北山ノ愚公長息シテ曰ハク、「汝ガ心之固ナルコト、固ニ不レ可レカラ徹ス、曾チ不レ若二カ孀妻ノ弱子一ニ。
北山の愚公長息して曰はく、「汝が心の固なること、固に徹すべからず、曾ち孀妻の弱子に若かず。
北山の愚公は深くため息をついて行うことには、「あなたの考えの固さは、手のつけようがなく、あの未亡人の幼い子どもにも劣る。
雖二モ我之死一スト、有レリテ子存ス焉。子ハ又生レミ孫ヲ、孫ハ又生レム子ヲ。
我の死すと雖も、子有りて存す。子は又孫を生み、孫は又子を生む。
※「雖二モ ~一ト」=仮定、「 ~と雖(いへど)も」、「たとえ ~としても」
※焉=置き字(断定・強調)
たとえ私が死んだとしても、子は残っている。その子はさらに孫を生み、孫はまた子を生む。
子ニ又有レリ子、子ニ又有レリ孫。子子孫孫、無二キ窮匱一也。
子に又子有り、子に又孫有り。子子孫孫、窮匱無きなり。
その子にはまた子ができ、子にはまた孫ができる。子子孫孫、尽き果てることはないことはない。
而ルニ山ハ不レ加レヘ増スコトヲ。何-若ゾ而不レラント平ラカナラ。」
而るに山は加増せず。何若ぞ平らかならざらん。」と。
※何如=反語・疑問、「何如」、「どのようにして ~か。(いや、~ない。)」
しかし、山の方は体積が増加していくわけではない。どうして平らにならないことがあろうか。(いや、いつかは平らになる。)」と。
河曲ノ智叟、亡二シ以ツテ応一フル。
河曲の智叟、以つて応ふる亡し。
黄河のほとりの利口な老人は、返す言葉もなかった。
操蛇之神聞レキ之ヲ、懼二ルル其ノ不一レルヲ已マ也、告二グ之ヲ於帝一ニ。
操蛇の神之を聞き、其の已まざるを懼るるや、之を帝に告ぐ。
山の神はこの話を聞き、愚公が山を崩すのをやめないことを心配して、このことを天帝に報告した。
帝感二ジ其ノ誠一ニ、命二ジテ夸蛾氏ノ二子一ニ負二ハシメ二山一ヲ、一ハ厝二キ朔東一ニ、一ハ厝二ク雍南一ニ。
帝其の誠に感じ、夸蛾氏の二子に命じて二山を負わしめ、一は朔東に厝き、一は雍南に厝く。
※「命レジテAニB(セ)シム」=使役、「Aに命じてB(せ)しむ」、「Aに命じてBさせる」
天帝は愚公の真心に感心し、夸蛾氏の二人の息子に命じて、太行と王屋の二つの山を背負わせて、一つは朔北の東部に置き、もう一つは雍州の南部に置いた。
自レリ此レ、冀之南、漢之陰ニ、無二シ隴断一焉。
此れより、冀の南、漢の陰、隴断無し。
※焉=置き字(断定・強調)
こうして、冀州の南から漢水の南側にかけて、切り立った高い丘はなくなったのである。