「黒=原文」・「赤=解説」・「青=現代語訳」
原文・現代語訳のみはこちら平家物語『忠度の都落ち』現代語訳(3)(4)
三位これを開けて見て、「かかる忘れ形見を賜りおき 候ひ ぬる上は、
かかる=連体詞、あるいはラ変動詞「かかり」の連体形。このような、こういう
賜りおく=カ行四段動詞の連用形、いただく。
賜る(たまはる)=ラ行四段動詞、「受く・もらふ」の謙譲語、いただく、頂戴する。「与ふ」の謙譲語、お与えになる。
候ひ=補助動詞ハ行四段「候ふ(さうろふ)」の連用形、丁寧語。言葉の受け手である薩摩守忠度を敬っている。五条三位俊成卿からの敬意。
※「候(さうらふ/さぶらふ)・侍り(はべり)」は補助動詞だと丁寧語「~です、~ます」の意味であるが、本動詞だと、丁寧語「あります、ございます、おります」と謙譲語「お仕え申し上げる、お控え申し上げる」の二つ意味がある。
※尊敬語は動作の主体を敬う
※謙譲語は動作の対象を敬う
※丁寧語は言葉の受け手(聞き手・詠み手)を敬う。
どの敬語も、その敬語を実質的に使った人間からの敬意である。
ぬる=完了の助動詞「ぬ」の連体形、接続は連用形
三位俊成卿はこれを開けて見て、「このような忘れ形見をいただきました以上は、
ゆめゆめ 疎略を存ず まじう 候ふ。御疑ひあるべから ず。
ゆめゆめ=副詞「ゆめゆめ」の後に打消語(否定語)を伴って、「決して~ない・少しも~ない」となる重要語。「ゆめ」だけの時もある。ここでは「まじう」が打消語
疎略/粗略(そりゃく)=名詞、ぞんざいに扱うこと、いいかげんに扱うこと、おろそかにすること
存ず=サ変動詞「存ず」の終止形、「考ふ・思ふ・知る」の謙譲語。動作の対象である薩摩守忠度を敬っている。五条三位俊成卿からの敬意。
まじう=打消意志の助動詞「まじ」の連用形が音便化したもの、接続は終止形(ラ変なら連体形)
候ふ=補助動詞ハ行四段「候ふ(さうろふ)」の終止形、丁寧語。言葉の受け手である薩摩守忠度を敬っている。五条三位俊成卿からの敬意。
べから=当然・命令・適当の助動詞「べし」の未然形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。㋜推量㋑意志㋕可能㋣当然㋱命令㋢適当のおよそ六つの意味がある。しかし、ここはどの意味か特定しがたい。
ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形
決しておろそかに思わないつもりです。お疑いなってはならない。
さても、ただ今の御渡りこそ、情けもすぐれて深う、あはれもことに思ひ知られて、感涙おさへがたう候へ。」
さても=副詞、そういう状態でも、そのままでも、そうであっても、それでもやはり
こそ=強調の係助詞、結びは已然形となる。係り結び。
情け=名詞、趣、風流を理解する心、風流な心。人情、思いやりの気持ち。男女の情愛、恋愛、情事。
あはれ=名詞、しみじみとした感動、情趣、風情。「あはれ」はもともと感動したときに口に出す感動詞であり、心が動かされるという意味を持つ。
れ=自発の助動詞「る」の連用形、接続は未然形。「る」は「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があり、「自発」の意味になるときはたいてい直前に「心情動詞(思う、笑う、嘆くなど)・知覚動詞(見る・知るなど)」があるので、それが識別のポイントである。自発:「~せずにはいられない、自然と~される」
候へ=補助動詞ハ行四段「候ふ(さうろふ)」の已然形、丁寧語。係助詞「こそ」を受けて已然形となっている。係り結び。言葉の受け手である薩摩守忠度を敬っている。五条三位俊成卿からの敬意。
それにしてもただ今のご来訪は、風流な心も特別に深く、しみじみとした情趣も格別に自然と感じられて、感涙を抑えがたいです。」
とのたまへ ば、薩摩守喜びて、
のたまへ=ハ行四段動詞「のたまふ(宣ふ)」の已然形。「言ふ」の尊敬語。おっしゃる。動作の主体である五条三位俊成卿を敬っている。作者からの敬意
ば=接続助詞、直前が已然形だから①原因・理由「~なので、~から」②偶然条件「~ところ・~と」③恒常条件「(~する)といつも」のどれかであるが、文脈判断をして②の意味でとる。ちなみに、直前が未然形ならば④仮定条件「もし~ならば」である。
とおっしゃると、薩摩守は喜んで、
「今は西海の波の底に沈ま ば 沈め、山野にかばねをさらさ ば さらせ。浮き世に思ひ置くこと候は ず。
沈ま=マ行四段動詞、未然形
ば=接続助詞、直前が未然形であり、④仮定条件「もし~ならば」の意味で使われている。
沈め=マ行四段動詞、命令形
かばね=名詞、死体、しかばね
さらさ=サ行四段動詞「曝す・晒す(さらす)」の未然形
ば=接続助詞、直前が未然形であり、④仮定条件「もし~ならば」の意味で使われている。
さらせ=サ行四段動詞、命令形
候は=補助動詞ハ行四段「候ふ(さうろふ)」の未然形、丁寧語。言葉の受け手である五条三位俊成卿を敬っている。薩摩守忠度からの敬意。
ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形
「(もはや)今となっては、西海の波の底に沈むならば沈んでもよい、山野にかばねをさらすならばさらしてもよい。はかないこの世に思い残すことはございません。
さらば いとま 申して」とて、
さらば=接続語、それならば、それでは
いとま=名詞、別れ、別れの挨拶。休み、余暇、ひま
申し=サ行四段動詞「申す」の連用形、「言ふ」の謙譲語。動作の対象である五条三位俊成卿を敬っている。薩摩守忠度からの敬意。
それではお別れを申して(行きます)。」と言って、
馬にうち乗り、甲の緒を締め、西をさいてぞ、歩ませ 給ふ。
さい=サ行四段動詞「指す・差す(さす)」の連用形が音便化したもの
ぞ=強調の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。
せ=使役の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語がくると「尊敬」の意味になることが多いが、今回のように「使役」の意味になることもあるので、やはり文脈判断が必要である。
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ」の連体形、尊敬語。係助詞「ぞ」を受けて連体形となっている。係り結び。動作の主体である薩摩守忠度を敬っている。作者からの敬意。
馬に乗り、甲の緒を締め、西を目指して(馬を)歩ませなさる。
三位後ろをはるかに見送つて立たれ たれ ば、忠度の声とおぼしくて、
れ=尊敬の助動詞「る」の連用形、接続は未然形。「る」には「受身・尊敬・自発・可能」の4つの意味がある。動作の主体である五条三位俊成卿を敬っている。地の文なので作者からの敬意。
たれ=存続の助動詞「たり」の已然形、接続は連用形
ば=接続助詞、直前が已然形であり、②偶然条件「~ところ・~と」の意味で使われている。
おぼしく=シク活用の形容詞「おぼし(思し・覚し)」の連用形、思われる、見受けられる
三位俊成卿は(忠度の)後ろ姿を遠くまで見送って立っていらっしゃると、忠度の声と思われて、
「前途程遠し、思ひを雁山の夕べの雲に馳す。」と高らかに口ずさみ給へ ば、
給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ」の已然形、尊敬語。動作の主体である薩摩守忠度を敬っている。作者からの敬意。
ば=接続助詞、直前が已然形であり、①原因・理由「~なので、~から」の意味で使われている。
「これからの旅路は遠い。(途中で越える)雁山にかかる夕方の雲に思いを馳せる(と、別れの悲しいことです)。」と、(忠度が)高らかに吟じなさるので、
俊成卿いとど名残り惜しうおぼえて、涙をおさへてぞ入り給ふ。
いとど=副詞、いよいよ、ますます。その上さらに
おぼえ=ヤ行下二段動詞「思ゆ(おぼゆ)」の連用形。「ゆ」には受身・自発・可能の意味が含まれており、ここでは「自発」の意味で使われている。訳:「(自然と)思われて」
ぞ=強調の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ」の連体形、尊敬語。係助詞「ぞ」を受けて連体形となっている。係り結び。動作の主体である五条三位俊成卿を敬っている。作者からの敬意。
俊成卿は、ますます名残惜しく思われて、涙を抑えて(屋敷へ)お入りになる。
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