「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら建礼門院右京大夫集『大原まうで』解説・品詞分解
作者:建礼門院右京大夫(性別:女性)
導入:平家が都落ちした後、恋人であった平資盛が亡くなったことを聞いた作者は、かつて仕えていた建礼門院(=平徳子)のもとを訪れた。
女院、大原におはしますとばかりは聞き参らすれど、
女院(=建礼門院)が、大原にいらっしゃるということだけはお聞きしておりましたが、
さるべき人に知られでは、參るべきやうもなかりしを、
しかるべき案内人がいなくては、お訪ねする方法もなかったところを、
深き心をしるべにて、わりなくて尋ね参るに、
(女院に対する)深い心を頼りにして、無理やり訪ね申し上げたところ、
やうやう近づくままに、山道のけしきより、まづ涙は先立ちて言ふ方なきに、
次第に近づくにつれて、山道の様子から、まず涙が先に流れて言いようもなく(悲しくなり)、
御庵のさま、御住まひ、ことがら、すべて目も当てられず。
御庵の様子、お住まい、お暮らしの様子、すべて目も当てられない(ほどの落ちぶれた有様でした)。
昔の御有様見参らせざらむだに、大方のことがら、いかがこともなのめならむ。まして、夢うつつとも言ふ方なし。
昔の御有様を拝見したことのない者でさえ、大体の(女院のこの現状の)様子を、どうして普通のことだと思えましょうか。まして(昔の女院の様子を知っている私には)、夢とも現実とも言いようがない。
秋深き山颪、近き梢に響きあひて、筧の水のおとづれ、鹿の声、虫の音、いづくものことなれど、ためしなき悲しさなり。
秋深い山おろしの風が、近い梢に響きあって、筧の水の音、鹿の声、虫の音、どこも同じことであるけれど、(私にとっては)先例のない悲しさである。
都は春の錦を裁ち重ねて、候ひし人々六十余人ありしかど、
都に居られた時は美しい衣装を着重ねて、(女院に)お仕えしていた人々も六十人余りいたけれど、
見忘るるさまにおとろへたる墨染めの姿して、わづかに三、四人ばかりぞ候はるる。
見忘れるほどに衰えた黒染めの尼姿をして、わずかに三、四人ほどお仕えしていらっしゃる。
その人々にも、「さてもや。」とばかりぞ、我も人も言ひ出でたりし。むせぶ涙におぼほれて、言も続けられず。
その人々にも、「それにしてもまあ。」とばかり、私もその人も口に出した。むせび泣いて涙にくれて、言葉も続けられない。
今や夢 昔や夢と まよはれて いかに思へど うつつとぞなき
今が夢なのか、それとも昔が夢だったのかと迷われて、どんなに考えても、現実のこととは思われない。
仰ぎ見し 昔の雲の 上の月 かかる深山の 影ぞ悲しき
かつて宮中でお見かけした雲の上の月のような女院が、このような深い山奥で暮らしていらっしゃるお姿が悲しいことです。
花のにほひ、月の光にたとへても、一方には飽かざりし御面影、あらぬかとのみたどらるるに、
花の美しさや、月の光に例えても、一通りの例え方では満足できなかったお姿が、別人かとばかり記憶をたどって思われるが、
かかる恩事を見ながら、何の思ひ出なき都へとて、されば何とて帰るらむとうとましく心憂し。
このようなご様子を見ながら、何の思い出もない都へと、それでどうして帰るのだろうかと嫌でつらく思われる。
山深く とどめおきつる わが心 やがてすむべき しるべとをなれ
(女院がいらっしゃる)山深くにとどめて置いてきた私の心よ、そのまま(私が)出家して住むことができる道しるべとなっておくれ。