作者:鴨長明(かものちょうめい)
「黒=原文」・「赤=解説」・「青=現代語訳」
原文・現代語訳のみはこちら方丈記『日野山の閑居』現代語訳(2)
もし、跡の白波にこの身を寄する朝には、岡の屋に行きかふ船をながめて、満沙弥が風情を盗み、
朝(あした)=名詞、翌朝。朝、明け方。
ながめ=マ行下二段動詞「眺む(ながむ)」の連用形、じっとみる、眺める。物思いに沈む。
もし、「跡の白波」(と満沙弥の歌に詠まれたような無常の思い)にこの身を寄せる(ような気持ちの)朝には、(宇治川岸の)岡屋に行き交う船を眺めて、満沙弥の趣向をまねて歌を詠み、
もし、桂の風、葉を鳴らす夕べには、潯陽の江を思ひやりて、源都督の行ひをならふ。
思ひやり=ラ行四段動詞「思ひ遣る」の連用形、思いをはせる、はるかに思う、いろいろと考える。気を晴らす、心を慰める。推察する。
ならふ=ハ行四段動詞「慣らふ・習ふ」の終止形、慣れる、習慣になる。練習する、学ぶ、まねる。
もし、桂に吹く風が、葉を鳴らす夕方には、(白楽天の漢詩の)「潯陽の江」を思い浮かべて、源都督(=源経信)の行いをまねる。
※源都督=源経信のこと。琵琶の名手であった人物。作者は琵琶の名手である源都督をまねて琵琶を弾いた。
もし、余興あれば、しばしば松の響きに秋風楽をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。
たぐへ=ハ行下二段動詞「たぐふ」の連用形、寄り添わせる。まねる、なぞらえる。
もし、余興があれば、何度も松風の響きに「秋風楽」を合わせて演奏し、水の音に合わせて流泉の曲を演奏する。
芸はこれ拙けれども、人の耳をよろこばしめ んとにはあらず。
ども=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく。
しめ=使役の助動詞「しむ」の未然形、接続は未然形。「す・さす・しむ」には、「使役と尊敬」の二つの意味があるが、直後に尊敬語が来ていない場合は必ず「使役」の意味である。
ん=意志の助動詞「む」の終止形が音便化したもの、接続は未然形。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文末に来ると「㋜推量・㋑意志・㋕勧誘」のどれかである。
に=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形
ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形
(琵琶の)芸はつたないけれども、人の耳をよろこばせようというのではない。
ひとり調べ、ひとり詠じて、みづから情を養ふばかり なり。
ばかり=副助詞、(程度)~ほど・ぐらい。(限定)~だけ。
なり=断定の助動詞「なり」の終止形、接続は体言・連体形
一人で演奏し、一人でうたって、自ら心を慰めるだけである。