「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら大和物語『生田川(いくたがわ)』解説・品詞分解(1)
昔、津の国に住む女ありけり。それをよばふ男二人なむありける。
昔、摂津の国に住む女がいた。その女に求婚する男が二人いた。
一人はその国に住む男、姓は菟原になむありける。いま一人は和泉の国の人になむありける。姓は茅渟となむ言ひける。
1人はその国(=女と同じ摂津の国)に住む男で、姓は菟原であった。もう一人は和泉の国の人だった。姓は茅渟といった。
かくてその男ども、年齢、顔かたち、人のほど、ただ同じばかりなむありける。
さて、その男たちは、年齢・容姿・人柄が、まったく同じようであった。
「心ざしのまさらむにこそあはめ。」と思ふに、心ざしのほど、ただ同じやうなり。
(女は)「愛情がまさっている者と結婚しよう。」と思ったが、愛情の度合もまったく同じようである。
暮るればもろともに来あひ、物おこすれば、ただ同じやうにおこす。
日が暮れるといつもそろって来て出会い、物を送るときもまったく同じように送ってくる。
いずれまされりと言ふべくもあらず。女思ひわづらひぬ。
どちらがまさっていると言うこともできない。女は思い悩んでしまった。
この人の心ざしのおろかならば、いづれにもあふまじけれど、これもかれも、月日を経て家の門に立ちて、よろづに心ざしを見えければ、しわびぬ。
この二人の男の愛情がいいかげんであるならば、どちらとも結婚しないだろうが、こちらの男もあちらの男も、長い月日にわたって家の門の所に立って、すべてにわたって愛情の深さが見えたので、どうすればよいか困ってしまった。
これよりもかれよりも、同じやうにおこする物ども、取りも入れねど、いろいろに持ちて立てり。
こちらの男からもあちらの男からも、同じように送ってくる物は、受け取りもしないのだが、いろいろと持ってきて(門の所に)立っているのである。
親ありて、「かく見苦しく年月を経て、人の嘆きをいたづらに負ふもいとほし。一人一人にあひなば、いま一人が思ひは絶えなむ。」と言ふに、
(この女には)親がいて、「このようにはたから見ていても心苦しくなる様子で年月を経て、(あなたが)あの人たちの嘆きをどうにもできないで背負っているのもかわいそうだ。どちらか一人と結婚したら、もう一人はきっと断念するだろう。」と言うと、
女、「ここにもさ思ふに、人の心ざしの同じやうなるになむ、思ひわづらひぬる。さらばいかがすべき。」と言ふに、
女は、「私もそのように思うのですが、二人の思いが同じようなので、悩んでしまっています。それならどうすればよいのでしょうか。」と言うのだが、
そのかみ、生田の川のつらに、女、平張を打ちてゐけり。
その当時、生田川のほとりに、女は、平張(=平らに張った仮屋)を建てて住んでいた。
かかれば、そのよばひ人どもを呼びにやりて、親の言ふやう、
このようであるから、その求婚している人たちを呼びにやって、親が言うには、
「たれも御心ざしの同じやうなれば、この幼き者なむ思ひわづらひにてはべる。今日いかにまれ、このことを定めてむ。
「どちらもお気持ちは同じようなので、このいたらぬ娘が思い悩んでおります。今日はどうあっても、この事について決めてしまいましょう。
あるは遠き所よりいまする人あり。あるはここながらそのいたつきかぎりなし。これもかれもいとほしきわざなり。」
一方は遠い所からいらっしゃる人です。もう一方はこの土地(=摂津)の人ですが、その苦労はこの上ないほどです。どちらもお気の毒なことです。
と言ふ時に、いとかしこくよろこびあへり。
と言うと、(二人の男は)たいそう喜び合った。
(2)
「申さむと思ひたまふるやうは、この川に浮きてはべる水鳥を射たまへ。
「申し上げようと思っておりますことは、この川に浮いております水どりを射なさってください。
それを射あてたまへらむ人に奉らむ。」と言ふ時に、
それを射当てなさった人に(娘を)差し上げましょう。」と(娘の親が)言うと、
「いとよきことなり。」と言ひて射るほどに、一人は頭の方を射つ。いま一人は尾の方を射つ。そのかみ、いづれと言ふべくもあらぬに、思ひわづらひて、
「たいへんすばらしいことだ。」と言って射ると、1人は(水どりの)頭の方を射当てた。もう一人は尾の方を射当てた。それで、どちらが(勝ち)とも言いかねて、(女は)思い悩んで、
すみわびぬ わが身投げてむ 津の国の 生田の川は 名のみなりけり
この世に住んでいるのが嫌になりました。(なので、)我が身をこの川に投げてしまいましょう。摂津の国の生田川の「生く」と言うのは名ばかりでしたよ。(この生田川のほとりに住んでいた私が死ぬのですから。)
とよみて、この平張は川にのぞきてしたりければ、づぶりとおち入りぬ。
と詠んで、この平張は川に面して建ててあったので、(女は)ざぶんと身を投げてしまった。
親、あわて騒ぎののしるほどに、このよばふ男二人、やがて同じ所におち入りぬ。
親が慌てて大騒ぎしている時に、この求婚していた二人の男も、すぐに同じ所に身を投げてしまった。
一人は足をとらへ、いま一人は手をとらへて死にけり。
1人は女の足をとらえ、もう一人は女の手をとらえて死んだ。
そのかみ、親いみじく騒ぎて、取り上げて泣き、ののしりて葬りす。
そのとき、親は大騒ぎして、(女の遺体を)引き上げて、泣きわめきながら葬った。
男どもの親も来にけり。この女の塚のかたはらに、また塚どもつくりて掘り埋む時に、津の国の男の親言ふやう、
男たちの親もやって来た。この女の墓のかたわらに、また墓を二つ作って埋葬するときに、摂津の国の親が言うことには、
「同じ国の男をこそ、同じ所にはせめ。異国の人の、いかでかこの国の土をば犯すべき。」と言ひてさまたぐる時に、
「同じ(摂津の)国の男を、同じ所に埋葬しましょう。他国の人が、どうしてこの国の土を汚してよいものでしょうか。」と言って妨げると、
和泉の方の親、和泉の土を舟に運びて、ここに持て来てなむ、つひに埋みてける。
和泉の国の男の親は、和泉の国の土を船に運んで、ここに持って来て、とうとう埋葬してしまった。
されば、女の墓をば中にて、左右になむ、男の墓ども今もあなる。
だから、女の墓を真ん中にして、左右に男たちの墓が今でもあるということだ。