「黒=原文」「青=現代語訳」
解説・品詞分解のみはこちら雨月物語『浅茅が宿』解説・品詞分解(1)
この時、日ははや西に沈みて、雨雲は落ちかかるばかりに暗けれど、
この時、日ははやくも西に沈んで、雨雲は(今にも雨となって)降ってきそうなほどに暗かったが、
久しく住み慣れし里なれば迷ふべうもあらじと、
長い間住み慣れた故郷であるから迷うはずもないだろうと、
夏野分け行くに、いにしへの継ぎ橋も川瀬に落ちたれば、
夏の(草木の生い茂った)野を分けて行くと、古い継ぎ橋も川の瀬に落ちてしまっているので、
げに駒の足音もせぬに、田畑は荒れたきままにすさみてもとの道もわからず、
なるほど(万葉集にあるように)馬の足音もせず、田畑は荒れ放題に荒れて、もとの道も分からず、
ありつる家居もなし。
以前あった家もない。
たまたまここかしこに残る家に人の住むとは見ゆるもあれど、昔には似つつもあらね、
たまたまこちらやあちらに残っている家に人が住んでいると思われるものもあるけれど、昔とは似ても似つかない、
いづれか我が住みし家ぞと立ち惑ふに、
どれが自分の住んでいた家かと立ち惑っていると、
ここ二十歩ばかりを去りて、雷に砕かれし松のそびえて立てるが、
ここから二十歩ほど離れて、雷に砕かれた松がそびえて立っているのが、
雲間の星の光に見えたるを、げに我が軒の標こそ見えつると、
雲間の星の光で(照らされて)見えたのを、確かにわが家の目印が見えたと、
まづうれしき心地して歩むに、家はもとに変はらであり。
まずうれしい気持になって歩み寄ると、家は昔と変わらないであった。
人も住むと見えて、古戸の間より灯火の影漏れてきらきらとするに、他人や住む、
人も住んでいると見えて、古い戸の隙間から灯火の光が漏れてきらきらしているので、(妻以外の見知らぬ)他人が住んでいるのだろうか、
もしその人やいますかと心騒がしく、門に立ち寄りて呟きすれば、内にも速く聞き取りて、「誰そ。」と咎む。
もしかすると妻がいるのだろうかと胸騒ぎがして、門に立ち寄って咳払いをすると、家の中でもすばやく聞き取って、「どなたですか。」と問いかけた。
いたうねびたれどまさしく妻の声なるを聞きて、夢かと胸のみ騒がれて、
ひどく老けているけれど、まさしく妻の声であるのを聞いて、夢かと胸騒ぎばかりしてしまい、
「われこそ帰り参りたり。変はらで独り浅茅が原に住みつることの不思議さよ。」と言ふを、
「私が帰ったぞ。(昔と)変らずに一人で浅茅が原に住んでいたとは不思議なことだよ。」と言うのを、
聞き知りたればやがて戸を開くるに、
(家の中の妻はその声が夫の勝四郎の声だと)聞き知っていたので、すぐに戸をあけると
いといたう黒く垢づきて、眼は落ち入りたるやうに、上げたる髪も背にかかりて、もとの人とも思はれず。
(妻の宮木は)たいそうひどく黒く垢づいて、目は落ちくぼんでいるようで、結い上げた髪も背中にかかって、もとの人(=昔の妻)とも思えない。
夫を見てものをも言はでさめざめと泣く。
夫を見て物も言わずにさめざめと泣いた。
続きはこちら雨月物語『浅茅が宿』現代語訳(2)