「黒=原文」・「赤=解説」・「青=現代語訳」
原文・現代語訳のみはこちら玉勝間『師の説になづまざること』(1)現代語訳
おのれ古典を説くに、師の説と違へ ること多く、
違へ=ハ行四段動詞「違ふ(たがふ)」の已然形、食い違う、相違する。背く。
る=存続の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形
私が古典を説明する際に、先生の学説と食い違っていることが多く、
師の説のわろきことあるをば、わきまへ言ふことも多かるを、
わろき=ク活用の形容詞「悪し」の連体形。良くない、好ましくない。「よし>よろし≧普通≧わろし>あし」みたいなイメージ。
ば=強調の係助詞。強調する意味があるが、訳す際に無視しても構わない。
わきまへ=ハ行下二段動詞「弁ふ(わきまふ)」の連用形、判別する、見分ける。道理を理解する、心得る。弁償する。
先生の説の正しくないことがあるのを、判別してあれこれ言うことも多いのを、
いとあるまじきことと思ふ人多か めれ ど、これすなはちわが師の心にて、
まじき=禁止の助動詞「まじ」の連体形、接続は終止形(ラ変なら連体形)
多か=ク活用の形容詞「多し」の連体形が音便化して無表記化されたもの。「多かる」→「多かん」→「多か」
めれ=推定の助動詞「めり」の已然形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。ここは「婉曲(断定せず遠まわしに表現すること)」の意味でも良いかもしれない。
ど=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく
すなはち=副詞、そのまま、すぐに、即座に
に=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形
全くあってはならないことだと思う人が多いようだけれど、これがそのまま私の先生の考えであって
常に教へ られ しは、「のちによき考えの出で来 たら んには、
教へ=ハ行下二動詞「教ふ」の未然形
られ=尊敬の助動詞「らる」の連用形、接続は未然形。「る・らる」には「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があるがここは文脈判断。
※「らる」の接続は未然形であるが、四段・ナ変・ラ変動詞以外の未然形に限られる。四段・ナ変・ラ変動詞の未然形のときは「る」が用いられる。「らる」の接続は未然形の中でも語尾の発音が「e(エ)・i(イ)」のものであり、「る」だと語尾の発音が「a(ア)」のものであると考えると良い。
し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形
出で来(き)=カ変動詞「出で来(く)」の連用形
たら=完了の助動詞「たり」の未然形、接続は連用形
ん=仮定の助動詞「む」の連体形が音便化したもの。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文中に来ると「㋕仮定・㋓婉曲」のどちらかである。訳:「(もし)出てきたら、そのような場合には」
(先生が)いつもお教えになったことは、「後でよい考えがもしも出てきた場合には、
必ずしも師の説にたがふとて、な はばかり そ。」
な=副詞、そ=終助詞
「な~そ」で「~するな(禁止)」を表す。
はばかり=ラ行四段動詞「憚る(はばかる)」の連用形、遠慮する、気兼ねする。障害があっていき悩む、進めないでいる
必ずしも先生の説と食い違うからといって、遠慮してはならない。」
となむ、教へられ し。
なむ=強調の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。
られ=尊敬の助動詞「らる」の連用形、接続は未然形。
し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形。係助詞「なむ」を受けて連体形となっている。
と、お教えになった。
こはいと尊き教へにて、我が師の、よにすぐれ給へ る一つなり。
こ=代名詞、これ、ここ
に=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形
世に(よに)=副詞、実に、非常に、はなはだ。
給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ」の已然形、尊敬語。動作の主体である我が師を敬っている。作者からの敬意。
る=完了の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形
なり=断定の助動詞「なり」の終止形、接続は体言・連体形
これはたいそう尊い教えであって、私の先生が、実に優れていらっしゃったことの一つである。
おほかた、いにしへを考ふること、さらに一人二人の力もて、ことごとくあきらめ尽くすべくもあらず。
考ふる=ハ行下二段動詞「考ふ」の連体形
さらに=下に打消し語を伴って、「まったく~ない、決して~ない」。ここでは「ず」が打消語
あきらめ=マ行下二段動詞「明らむ」の連用形、はっきりさせる、明らかにする。晴れ晴れとさせる。
べく=可能の助動詞「べし」の連用形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。㋜推量㋑意志㋕可能㋣当然㋱命令㋢適当のおよそ六つの意味がある
ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形
およそ一般的に、古代のことを考えることは、決して一人や二人の力で、すべて明らかにしつくすことはできない。
また、よき人の説なら む からに、多くの中には、誤りなどか なから む。
なら=断定の助動詞「なり」の未然形、接続は体言・連体形
む=婉曲・仮定の助動詞「む」の連体形、接続は未然形。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文中に来ると「㋕仮定・㋓婉曲」のどれかである。ここでは微妙なところ。
からに=接続助詞、(逆接の仮定条件)~だからといって、たとえ~だとしても。(原因・理由)~のために
などか=副詞、疑問・反語、どうして~か。「などか」の「か」は係助詞、結びは連体形となる。係り結び。
なから=ク活用の形容詞「無し」の未然形
む=推量の助動詞「む」の連体形、接続は未然形。係助詞「か」を受けて連体形となっている。
また、優れた人の説であるからといっても、多くの(学説の)中には、どうしても誤りなどないだろうか。(いや、あるに違いない。)
必ずわろきこともまじらではえあらず。
で=打消の接続助詞、接続は未然形。「ず(打消しの助動詞)+して(接続助詞)」→「で」となったもの。
え=副詞、下に打消の表現を伴って「~できない。」
ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形
必ず正しくないことも混じらないではいられない。
そのおのが心には、「今はいにしへの心ことごとく明らかなり。これをおきては、あるべくもあらず。」
べく=当然の助動詞「べし」の連用形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。㋜推量㋑意志㋕可能㋣当然㋱命令㋢適当のおよそ六つの意味がある。
ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形
その人自身の心には、「今は古代の精神はすべて明らかである。この説以外には、あるはずもない。」
と思ひ定めたることも、思ひのほかに、また人のことなるよき考への出で来るわざ なり。
たる=完了の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形
思ひのほかに=ナリ活用の形容動詞「思ひのほかなり」の連用形、意外だ、思いがけないことだ
の=格助詞、用法は主格。「よき考への」→「良い考えが」
わざ=名詞、事の次第、こと。おこなひ、動作、しわざ、仕事。仏事、法事、法会
なり=断定の助動詞「なり」の終止形、接続は体言・連体形
と思い定めたことも、意外なことに、また他の人の異なる良い考えが出て来るものである。
あまたの手を経るまにまに、先々の考えの上を、なほよく考へ究むるからに、
あまた(数多)=副詞、たくさん、大勢
まにまに=副詞、(物事が進むのに)~につれて、~とともに。(他人の意志・成り行き)~に任せて、~のままに。
なほ=副詞、やはり。さらに。それでもやはり。
からに=接続助詞、((原因・理由)~のために。逆接の仮定条件)~だからといって、たとえ~だとしても。
たくさんの人の検討を経るにつれて、以前の考え以上に、さらによく考え究めていくので、
次々に詳しくなりもてゆくわざなれ ば、師の説なりとて、
もてゆく=カ行四段動詞「もてゆく」の終止形、しだいに~してゆく。「もて」は接頭語で、あまり意味はない。
なれ=断定の助動詞「なり」の已然形、接続は体言・連体形
ば=接続助詞、直前が已然形だから①原因・理由「~なので、~から」②偶然条件「~ところ・~と」③恒常条件「(~する)といつも」のどれかであるが、文脈判断をして①の意味でとる。ちなみに、直前が未然形ならば④仮定条件「もし~ならば」である。
なり=断定の助動詞「なり」の終止形、接続は体言・連体形
次々に詳しくなっていくものであるから、先生の説であるといって、
必ずなづみ守るべきにもあらず。
なづみ=マ行四段動詞「泥む/阻む(なづむ)」の連用形、こだわる、気にする。行き悩む。悩み苦しむ。思いこがれる
べき=当然の助動詞「べし」の連用形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。㋜推量㋑意志㋕可能㋣当然㋱命令㋢適当のおよそ六つの意味がある。
に=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形
ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形
必ずしもこだわり守るべきことでもない。
よきあしきを言はず、ひたぶるに古きを守るは、学問の道には言ふかひなきわざなり。
ず=打消の助動詞「ず」の連用形、接続は未然形
ひたぶるに=副詞、ひたすら、一途に、むやみに。全く、全然。
言ふかいなし=つまらない、情けない、身分が低い、卑しい。言ってもかいがない、言っても仕方がない。「言ふ(ハ行四段動詞連体形)/甲斐(名詞)/無し(ク活用形容詞終止形)」
なり=断定の助動詞「なり」の終止形、接続は体言・連体形
(学説が)良いか悪いかを言わず、ひたすらに古い説を守るのは、つまらない行いである。
また、おのが師などのわろきことを言ひ表すは、いともかしこくはあれど、
かしこく=ク活用の形容詞「畏し/賢し(かしこし)」の連用形。恐れ多い、尊い。もったいない、かたじけない。賢い、優れている。
ど=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく
また、自分の先生などの(学説が)正しくないことを言い表すのは、とても恐れ多くはあるけれど、
それも言はざれ ば、世の学者その説に惑ひて、長くよきを知る期(ご)なし。
ざれ=打消の助動詞「ず」の已然形、接続は未然形
ば=接続助詞、基本的に直前が已然形だと、①原因・理由、②偶然条件、③恒常条件、直前が未然形ならば④仮定条件である。しかし、室町時代以降は直前に已然形が来て仮定条件の意味で用いられるようになった。ここでは仮定条件「もし~ならば」である。
惑ひ=ハ行四段動詞「惑ふ」の連用形、心が乱れる、悩む。迷う。途方に暮れる
それも言わなければ、世の学者はその(先生の正しくない)説に悩んで、長い間正しい説を知る機会が無い。
師の説なりとて、わろきを知りながら、言はず、つつみ隠して、よざまに つくろひをら むは、
なり=断定の助動詞「なり」の終止形、接続は体言・連体形
ず=打消の助動詞「ず」の連用形、接続は未然形
よざまに=ナリ活用の形容動詞「好様なり/善様なり」の連用形、良い様子だ
つくろひをら=ラ変動詞「繕ひ居る」の未然形
む=婉曲の助動詞「む」の連体形、接続は未然形。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文中に来ると「㋕仮定・㋓婉曲」のどれかである。ここでは仮定の意味だと解する説もある。
先生の説であるとして、正しくないことを知りながら、言わず、つつみ隠して、よいように取りつくろっているようなのは、
ただ師のみを尊みて、道をば思はざる なり。
ば=強調の係助詞。強調する意味があるが、訳す際に無視しても構わない。
ざる=打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形
なり=断定の助動詞「なり」の終止形、接続は体言・連体形
ただ先生ばかりを尊んで、学問の道を(大切に)思わないのである。
問題はこちら玉勝間『師の説になづまざること』(1)問題