「黒=原文」・「赤=解説」・「青=現代語訳」
また、北野の、神になら せ 給ひて、いと恐ろしく神鳴りひらめき、
なら=ラ行四段動詞「成る(なる)」の未然形
せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である菅原道真を敬っている。作者からの敬意。
給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語
※尊敬語は動作の主体を敬う
※謙譲語は動作の対象を敬う
※丁寧語は言葉の受け手(聞き手・詠み手)を敬う。
どの敬語も、その敬語を実質的に使った人間からの敬意である。
また、北野(の菅原道真)が、雷神におなりになって、たいそう恐ろしく雷が鳴り光り、
清涼殿に落ちかかりぬと見え けるが、本院の大臣、太刀を抜きさけて、
清涼殿(せいりょうでん)=名詞、天皇が普段の生活を行う場所。公事などの儀式・行事も行われる。
ぬ=完了、あるいは強意の助動詞「ぬ」の終止形、接続は連用形
見え=ヤ行下二動詞「見ゆ」の連用形、見える、分かる。「ゆ」には「受身・自発・可能」の意味が含まれていたり、「見ゆ」には多くの意味がある。
ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形
清涼殿に落ちかかったと見えたが、本院の大臣(=藤原時平)が、太刀を抜き放って、
「生きてもわが次にこそ ものし 給ひ しか。
こそ=強調の係助詞、結びは已然形となる。係り結び。
ものし=サ変動詞「物す(ものす)」の連用形、代動詞、「~する」、ある、いる、行く、来る、生まれる、などいろいろな動詞の代わりに使う。
給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。動作の主体である菅原道真を敬っている。敬語を使った藤原時平からの敬意。
しか=過去の助動詞「き」の已然形、接続は連用形。係助詞「こそ」を受けて已然形となっている。係り結び。
「生きていた時も(あなた=道真は)私の次の位でおられた。
今日、神となり 給へ り とも、この世には、われに所置き給ふ べし。
なり=ラ行四段動詞「成る(なる)」の連用形
給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。動作の主体である菅原道真を敬っている。藤原時平からの敬意。
り=存続の助動詞「り」の終止形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形
とも=接続助詞、(逆接の仮定条件)たとえ ~ても
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の終止形、尊敬語。動作の主体である菅原道真を敬っている。藤原時平からの敬意。
べし=当然の助動詞「べし」の終止形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。㋜推量㋑意志㋕可能㋣当然㋱命令㋢適当のおよそ六つの意味がある。
今日、雷神となっていらっしゃるとしても、この世では、私に遠慮なさるべきだ。
いかで か さらで は ある べき ぞ。」
いかで=副詞、(反語・疑問で)どうして、どのようにして、どういうわけで。どうにかして、なんとかして。
か=反語の係助詞、結びは連体形となる。係り結び
さら=ラ変動詞「然り(さり)」の未然形、そうだ、そうである。適切である、ふさわしい、しかるべきだ。
で=打消の接続助詞、接続は未然形。「ず(打消しの助動詞)+して(接続助詞)」→「で」となったもの。
は=強調の係助詞
ある=ラ変動詞「あり」の連体形
べき=当然の助動詞「べし」の連体形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。㋜推量㋑意志㋕可能㋣当然㋱命令㋢適当のおよそ六つの意味がある。
ぞ=強調の係助詞
どうしてそうでなくてよいはずがあろうか。(いや、遠慮なさるべきだ。)」
と、にらみやりてのたまひ ける。
にらみやり=ラ行四段動詞「睨み遣る(にらみやる)」の連用形、その方面を向いて睨む、睨みつける
のたまひ=ハ行四段動詞「のたまふ(宣ふ)」の連用形。「言ふ」の尊敬語。おっしゃる。動作の主体である藤原時平を敬っている。作者からの敬意。
ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形
と、睨みつけておっしゃった。
一度は鎮まらせ 給へ り けりとぞ、世の人、申し はべり し。
せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である菅原道真を敬っている。作者からの敬意。
給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語
り=完了の助動詞「り」の連用形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形
けり=過去の助動詞「けり」の終止形、接続は連用形
ぞ=強調の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。
申し=サ行四段動詞「申す」の連用形、「言ふ」の謙譲語。おそらく動作の対象である菅原道真を敬っている。作者からの敬意。
はべり=補助動詞ラ変「侍り(はべり)」の連用形、丁寧語。言葉の受け手である読者を敬っている。作者からの敬意。
※「候ふ(さぶらふ)・侍り(はべり)」は補助動詞だと丁寧語「~です、~ます」の意味であるが、本動詞だと、丁寧語「あります、ございます、おります」と謙譲語「お仕え申し上げる、お控え申し上げる」の二つ意味がある。
し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形。係助詞「ぞ」を受けて連体形となっている。係り結び。
(そうして、)一度はお鎮まりになったと、世の人々は、申し上げておりました。
されど、それは、かの大臣のいみじう おはする にはあら ず、
彼の(かの)=あの、例の。「か(名詞)/の(格助詞)」と品詞分解する。
いみじう=シク活用の形容詞「いみじ」の連用形が音便化したもの、(いい意味でも悪い意味でも)程度がひどい、甚だしい、とても
おはする=補助動詞サ行四段「おはす」の連体形。尊敬語。動作の主体である藤原時平を敬っている。作者からの敬意。
に=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形
あら=ラ変動詞「あり」の未然形
ず=打消の助動詞「ず」の連用形、接続は未然形
しかし、それは、あの大臣(=藤原時平)がすぐれていらっしゃるのではなく、
王威の限りなくおはしますによりて、理非を示させ 給へ る なり。
おはします=補助動詞サ行四段「おはします」の連体形。尊敬語。「おはす」より敬意が高い。動作の主体である帝を敬っている。作者からの敬意。
せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である菅原道真を敬っている。作者からの敬意。
給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語
る=完了の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形
なり=断定の助動詞「なり」の終止形、接続は体言・連体形
帝のご威光が限りなくあられることによって、(道真が)理非を示しなさったのである。
※理非(りひ)=道理に合うことと、外れていること。道理と道理に反すること。