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玉勝間『兼好法師が詞のあげつらひ』解説・品詞分解

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原文・現代語訳のみはこちら玉勝間『兼好法師が詞のあげつらひ』現代語訳

 

兼好法師が徒然草に、「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。」

 

隈なき=ク活用の形容詞「隈なし(くまなし)」の連体形、暗い所がない、陰になる所がない。届かない所がない、余す所がない

 

ものかは=終助詞、①反語、②感動、ここでは反語。

 

兼好法師の徒然草に、「(春の桜の)花は真っ盛りなのを、(秋の)月はかげりなく輝いているものだけを見るものだろうか。(いや、そうではない。)」

 

 

言へは、いかに  

 

か=疑問の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。

 

る=存続の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形。係助詞「か」を受けて連体形となっている。係り結び。

 

いかに=副詞、どう、どんなに。どれほど。

 

ぞ=強調の係助詞

 

や=終助詞。用法は疑問あるいは念押し。

 

とか言っているのは、どうであろうか。

 

 

いにしへの歌どもに、花は盛りなる、月はくまなきを見たるよりも、

 

隈なき=ク活用の形容詞「隈なし(くまなし)」の連体形、暗い所がない、陰になる所がない。届かない所がない、余す所がない

 

たる=完了の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形

 

昔の和歌などに、花は盛りであるのを、月はかげりなく輝いているのを見た歌よりも、

 

 

花のもとには風をかこち、月の夜は雲をいとひ、あるは待ち惜しむ心づくしをよめ  多くて、

 

かこち=タ行四段動詞「かこつ(託つ)」の連用形、不平・不満を言う、恨み嘆く。他のせいにする、口実にする、かこつける。

 

いとひ=ハ行四段動詞「厭ふ(いとふ)」の連用形、きらう、いやだと思う。

 

心づくし=名詞、深く気をもむこと、さまざまに思い悩むこと

 

る=完了の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形

 

ぞ=強調の係助詞。結びは連体形となるが、係り結びの消滅が起こっている。本来の結びは「多く」の部分であるが、接続助詞「て」が来ているため、結びの部分が消滅してしまっている。これを「係り結びの消滅(流れ)」と言う。

 

多く=ク活用の形容詞「多し」の連用形

 

花のもとでは(花を散らす)風を恨み(なげ)、月の夜は雲を嫌い、あるいは(花が咲き、月が見えるのを)待ち(花が散り、月が隠れるのを)惜しむ物思いを詠んだ歌が多くて、

 

 

心深きもことに さる歌に多かるは、みな花は盛りをのどかに見まほしく

 

殊に(ことに)=副詞、特に、とりわけ。その上、なお

 

さる=連体詞あるいはラ変動詞「然り(さり)」の連体形、そうだ、そうである。適切である、ふさわしい、しかるべきだ。

 

まほしく=願望・希望の助動詞「まほし」の連用形、接続は未然形

 

趣深いのも特にそのような歌に多いのは、みな花は盛りであるのをのどかな心で見たく、

 

 

月はくまなから ことを思ふ心のせちなるからこそ

 

隈なから=ク活用の形容詞「隈なし(くまなし)」の未然形、暗い所がない、陰になる所がない。届かない所がない、余す所がない

 

ん=婉曲の助動詞「む」の連体形が音便化したもの、接続は未然形。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文中に来ると「㋕仮定・㋓婉曲」のどれかである。直後に体言があると婉曲になりがち。婉曲とは遠回しな表現。「~のような」と言った感じで訳す。

訳:「かげりがなく輝いている(ような)こと」

 

せちなる=ナリ活用の形容動詞「切なり(せちなり)」の連体形、急だ、大切だ。

 

こそ=強調の係助詞、結びは已然形となる。係り結び。

 

月はかげりがなく輝いていることを思う心が大切だからこそ、

 

 

  あらを嘆きたる なれ

 

さ=副詞、そう、その通りに、そのように。

 

も=強調の係助詞。強調する意味があるが、訳す際に無視しても構わない。

 

え=副詞、下に打消の表現を伴って「~できない」

 

ぬ=打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形

 

たる=存続の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形

 

なれ=断定の助動詞「なり」の已然形、接続は体言・連体形。係助詞「こそ」を受けて已然形となっている。係り結び。

 

そのようにありえないことを嘆いているのである。

※そのようにありえないこと=花が盛りであり、月がかげりなく輝いているのを見ること



 

いづこの歌に 、花に風を待ち、月に雲を願ひたるはあら

 

か=反語の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。

 

は=強調の係助詞。現代語でもそうだが、疑問文を強調していうと反語となる。「~か!(いや、そうじゃないだろう。)」。なので、「~やは・~かは」とあれば反語の可能性が高い。

 

たる=存続の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形

 

ん=推量の助動詞「む」の連体形が音便化したもの、接続は未然形。係助詞「か」を受けて連体形となっている。係り結び。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文末に来ると「㋜推量・㋑意志・㋕勧誘」のどれかである。

 

どの歌に、花に(花を散らす)風が吹くのを待ち、月に(月を隠す)雲を願っている歌があるだろうか。(いや、ない。)

 

 

さるをかの法師が言へ ごとくなるは、

 

さるを=接続詞、それなのに、ところが

 

彼の(かの)=あの、例の。「か(名詞)/の(格助詞)」と品詞分解する

 

る=存続の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形

 

ごとくなる=比況の助動詞「ごとくなり」の連体形

 

それなのに、あの法師(=兼好法師)が言っているようなことは、

 

 

人の心に(さか)たる、のちの世のさかしら心の、つくりみやび して、まことのみやび心はあら

 

たる=存続の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形

 

さかしら心=名詞、利口ぶった心

賢し(さかし)=シク活用の形容詞、利口ぶっている、小賢しい。しっかりしている。利口だ、優れている。

 

つくりみやび=名詞、作り構えた偽物の風流、わざとこしらえた風流

みやび=名詞、上品で優雅な事、風流、優雅

 

に=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形。もう一つの「に」も同じ。

 

ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形

 

人の心に反した、後世の利口ぶった心の、作り構えた偽物の風流で、本当の風流な心ではない。

 

 

かの法師が言へことども、このたぐひ多し。みな同じことなり

 

る=存続の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形

 

なり=断定の助動詞「なり」の終止形、接続は体言・連体形

 

あの法師が言っていることなどは、この類のことが多い。皆同じことである。

 

 

すべて、なべての人の願ふ心にたがへ を、みやびとするは、つくりごと多かりける

 

なべて(並べて)=副詞、一般に、すべて。並ひととおり、ふつう

 

たがへ=ハ行四段動詞「違ふ(たがふ)」の已然形、食い違う、相違する。背く。

 

る=存続の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形

 

みやび=名詞、上品で優雅な事、風流、優雅

 

ぞ=強調の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。

 

ける=詠嘆の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形。係助詞「ぞ」を受けて連体形となっている。係り結び。

 

すべて、一般の人が願う心に反していることを、風流として考えるのは、(偽った)作り事が多いのだよ。

 

 

恋に、あへ を喜ぶ歌は心深から、あはを嘆く歌のみ多くして、心深きも、

 

あへ=ハ行四段動詞「会ふ・逢ふ(あふ)」の已然形、結婚する、恋が成就する。会う、出会う。

 

る=完了の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形

 

で=打消の接続助詞、接続は未然形。「ず(打消の助動詞)+して(接続助詞)」→「で」となったもの。

 

ぬ=打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形

 

恋の歌に、恋が成就することを喜ぶ歌は趣が深くなくて、恋が成就しないのを嘆く歌ばかり多くて、趣深いのも、

 

 

あひ見 ことを願ふからなり

 

あひ見=マ行上一段動詞「逢ひ見る・相見る」の未然形、契りを結ぶ。会って見る、対面する。

 

ん=婉曲の助動詞「む」の連体形が音便化したもの、接続は未然形。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文中に来ると「㋕仮定・㋓婉曲」のどれかである。直後に体言があると婉曲になりがち。婉曲とは遠回しな表現。「~のような」と言った感じで訳す。

訳:「恋が成就する(ような)こと」

 

なり=断定の助動詞「なり」の終止形、接続は体言・連体形

 

恋が成就することを願うからである。

 

 

人の心は、うれしきことは、 しも深くはおぼえ ものて、

 

さ=副詞、そう、その通りに、そのように。

 

しも=強意の副助詞。訳す際にはあまり気にしなくてもよい。

 

おぼえ=ヤ行下二段動詞「思ゆ・覚ゆ(おぼゆ)」の未然形、自然に思われる、感じる、思われる。「ゆ」には受身・自発・可能の意味が含まれている。

 

ぬ=打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形

 

に=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形

 

人の心というのは、嬉しいことは、それほど深くは感じられないものであって、

 

 

ただ心にかなはこと、深く身にしみてはおぼゆる わざ なれ 

 

ぬ=打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形

 

ぞ=強調の係助詞。結びは連体形となるが、係り結びの消滅が起こっている。本来の結びは「なれ」の部分であるが、接続助詞「ば」が来ているため、結びの部分が消滅してしまっている。これを「係り結びの消滅(流れ)」と言う。

 

おぼゆる=ヤ行下二段動詞「思ゆ・覚ゆ(おぼゆ)」の連体形、自然に思われる、感じる、思われる。「ゆ」には受身・自発・可能の意味が含まれている。

 

わざ=名詞、こと、事の次第。おこなひ、動作、しわざ、仕事。仏事、法事、法会

 

なれ=断定の助動詞「なり」の已然形、接続は体言・連体形

 

ば=接続助詞、直前が已然形だから①原因・理由「~なので、~から」②偶然条件「~ところ・~と」③恒常条件「(~する)といつも」のどれかであるが、文脈判断をして①の意味でとる。ちなみに、直前が未然形ならば④仮定条件「もし~ならば」である。

 

ただ願いのかなわないことが、深く身にしみて感じられるものであるので、

 

 

すべて、うれしきをよめ歌には、心深きは少なくて、

 

る=完了の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形

 

総じて、嬉しいことを読んだ歌には、深い歌は少なくて、

 

 

心にかなはすぢを憂へたるに、あはれなるは多き かし

 

ぬ=打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形

 

たる=完了の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形

 

あはれなる=ナリ活用の形容動詞「あはれなり」の連体形。「あはれ」はもともと感動したときに口に出す感動詞であり、心が動かされるという意味を持つ。しみじみと思う、しみじみとした情趣がある。

 

ぞ=強調の係助詞

 

かし=念押しの終助詞、文末に用いる、~よ。~ね。

 

願いのかなわないことを悲しみ憂えた歌に、しみじみとした趣のある歌が多いのであるよ。



 

さりとてわびしく悲しきをみやび たりとて願はは、

 

さりとて(然りとて)=接続詞、そうかといって、だからといって、それにしても

 

わびしく=シク活用の形容詞「わびし」の連用形、つらい、苦しい、情けない、困ったことだ

 

 

みやび=バ行上二段動詞「雅ぶ(みやぶ)」の連用形、風流である、優雅である

 

たり=存続の助動詞「たり」の終止形、接続は連用形

 

ん=婉曲または仮定の助動詞「む」の連体形が音便化したもの、接続は未然形。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文中に来ると「㋕仮定・㋓婉曲」のどれかである。今回はどちらか微妙である。

 

そうかといって、つらく悲しいのを風流であるとして願うのは、

 

 

人のまことの(こころ)なら  

 

なら=断定の助動詞「なり」の未然形、接続は体言・連体形

 

め=推量の助動詞「む」の已然形、接続は未然形

 

や=反語の係助詞

 

人の本当の心であろうか。(いや、そうではあるまい。)

 

 

 原文・現代語訳のみはこちら玉勝間『兼好法師が詞のあげつらひ』現代語訳

 

 

 

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