「黒=原文」・「赤=解説」・「青=現代語訳」
原文・現代語訳のみはこちら建礼門院右京大夫集『大原まうで』現代語訳
作者:建礼門院右京大夫(性別:女性)
導入:平家が都落ちした後、恋人であった平資盛が亡くなったことを聞いた作者は、かつて仕えていた建礼門院(=平徳子)のもとを訪れた。
女院、大原におはしますとばかりは聞き参らすれ ど、
おはします=サ行四段動詞「おはします」の終止形。「あり・居り・行く・来」の尊敬語。「おはす」より敬意が高い言い方。いらっしゃる、おられる、あおりになる。動作の主体である女院(=建礼門院)を敬っている。作者からの敬意。
※尊敬語は動作の主体を敬う
※謙譲語は動作の対象を敬う
※丁寧語は言葉の受け手(聞き手・詠み手)を敬う。
どの敬語も、その敬語を実質的に使った人間からの敬意である。
ばかり=副助詞、(程度)~ほど・ぐらい。(限定)~だけ。
参らすれ=補助動詞サ行下二「参らす」の已然形、謙譲語。動作の対象であるこの女院(=建礼門院)を敬っている。作者からの敬意。
ど=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく。
女院(=建礼門院)が、大原にいらっしゃるということだけはお聞きしておりましたが、
さる べき人に知られ では、參る べきやうもなかりしを、
さる=連体詞、あるいはラ変動詞「然り(さり)」の連体形、そうだ、そうである。適切である、ふさわしい、しかるべきだ。
べき=当然の助動詞「べし」の連体形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。「べし」は㋜推量㋑意志㋕可能㋣当然㋱命令㋢適当のおよそ六つの意味がある。
れ=受身の助動詞「る」の未然形、接続は未然形。「る・らる」には「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があるがここは文脈判断。
で=打消の接続助詞、接続は未然形。「ず(打消しの助動詞)+して(接続助詞)」→「で」となったもの。
参る=ラ行四段動詞「参る」の終止形、「行く」の謙譲語。動作の対象である女院(=建礼門院)を敬っている。作者からの敬意。
べき=可能の助動詞「べし」の連体形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。「べし」は㋜推量㋑意志㋕可能㋣当然㋱命令㋢適当のおよそ六つの意味がある。
し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形
しかるべき案内人がいなくては、お訪ねする方法もなかったところを、
深き心をしるべにて、わりなくて尋ね参るに、
わりなく=ク活用の形容詞「わりなし」の連用形、「理(ことわり)なし」と言う意味からきている。道理に合わない、分別がない、程度がひどい。
参る=ラ行四段動詞「参る」の連体形、「行く」の謙譲語。動作の対象である女院(=建礼門院)を敬っている。作者からの敬意。
(女院に対する)深い心を頼りにして、無理やり訪ね申し上げたところ、
やうやう近づくままに、山道のけしき より、まづ涙は先立ちて言ふ方なきに、
やうやう=副詞、だんだん、しだいに
ままに=~にまかせて、思うままに。~するとすぐに。(原因・理由)…なので。「まま(名詞/に(格助詞)」
気色(けしき)=名詞、様子、状態。ありさま、態度、そぶり。
より=格助詞、(起点)~から。(手段・用法)~で。(経過点)~を通って。(即時:直前に連体形がきて)~するやいなや。
次第に近づくにつれて、山道の様子から、まず涙が先に流れて言いようもなく(悲しくなり)、
御庵のさま、御住まひ、ことがら、すべて目も当てられ ず。
られ=可能の助動詞「らる」の未然形、接続は未然形。「る」には「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があるがここは文脈判断。平安以前では下に打消が来て「可能」の意味で用いられることが多い。平安以前では「可能」の意味の時は下に「打消」が来るということだが、下に「打消」が来ているからといって「可能」だとは限らない。鎌倉以降は「る・らる」単体でも可能の意味で用いられるようになった。
ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形
御庵の様子、お住まい、お暮らしの様子、すべて目も当てられない(ほどの落ちぶれた有様でした)。
昔の御有様見参らせ ざら む だに、大方のことがら、いかがこともなのめなら む。まして、夢うつつとも言ふ方なし。
参らせ=補助動詞サ行下二「参らす」の未然形、謙譲語。動作の対象である女院(=建礼門院)を敬っている。作者からの敬意。
ざら=打消の助動詞「ず」の未然形、接続は未然形
む=婉曲の助動詞「む」の連体形、接続は未然形。この「む」は、㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文中に来ると「㋕仮定・㋓婉曲」のどれかである。直後に体言があると婉曲になりがち。
だに=副助詞、添加(~までも)。類推(~さえ・~のようなものでさえ)。強調(せめて~だけでも)。
いかが=副詞、どんなに ~か。どうして ~か。
なのめなら=ナリ活用の形容動詞「なのめなり」未然形、いいかげんだ、おざなりだ、おろそかだ。並ひととおりだ、普通だ。
「なのめに(連用形)」で用いられるときには「並一通りでなく、普通でなく、格別に」と意味が大きく変わる可能性がある。つまり文脈判断をしなければならないので注意が必要。まあ、わざわざ問題として聞かれるような場合には「並一通りでなく、普通でなく、格別に」の意味の方だと思いますが、必ずではないのでご注意を。
む=推量の助動詞「む」の連体形、接続は未然形。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文末に来ると「㋜推量・㋑意志・㋕勧誘」のどれかである。
現(うつつ)=名詞、現実、現世。生きている状態、目が覚めている状態。
昔の御有様を拝見したことのない者でさえ、大体の(女院のこの現状の)様子を、どうして普通のことだと思えましょうか。まして(昔の女院の様子を知っている私には)、夢とも現実とも言いようがない。
秋深き山颪、近き梢に響きあひて、筧の水のおとづれ、鹿の声、虫の音、いづくものことなれ ど、ためしなき悲しさなり。
いづく=代名詞、どこ
なれ=断定の助動詞「なり」の已然形、接続は体言・連体形
ど=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく。
例(ためし)=名詞、例、先例。試み。
なり=断定の助動詞「なり」の終止形、接続は体言・連体形
秋深い山おろしの風が、近い梢に響きあって、筧の水の音、鹿の声、虫の音、どこも同じことであるけれど、(私にとっては)先例のない悲しさである。
都は春の錦を裁ち重ねて、候ひ し人々六十余人ありしか ど、
候ひ=ハ行四段動詞「候ふ(さぶらふ)」の連用形、謙譲語。お仕えする、(貴人の)お側にお仕えする。動作の対象である女院(=建礼門院)を敬っている。作者からの敬意。
※「候ふ(さぶらふ)・侍り(はべり)」は補助動詞だと丁寧語「~です、~ます」の意味であるが、本動詞だと、丁寧語「あります、ございます、おります」と謙譲語「お仕え申し上げる、お控え申し上げる」の二つ意味がある。
し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形
しか=過去の助動詞「き」の已然形、接続は連用形
ど=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく。
都に居られた時は美しい衣装を着重ねて、(女院に)お仕えしていた人々も六十人余りいたけれど、
見忘るるさまにおとろへたる墨染めの姿して、わづかに三、四人ばかり ぞ 候は るる。
たる=完了の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形
ばかり=副助詞、(程度)~ほど・ぐらい。(限定)~だけ。
ぞ=強調の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。
候は=ハ行四段動詞「候ふ(さぶらふ)」の未然形、謙譲語。お仕えする、(貴人の)お側にお仕えする。動作の対象である女院(=建礼門院)を敬っている。作者からの敬意。
るる=尊敬の助動詞「る」の連体形、接続は未然形。係助詞「ぞ」を受けて連体形となっている。係り結び。「る・らる」には「受身・尊敬・自発・可能」の4つの意味がある。動作の主体である女院(=建礼門院)に仕えている女房を敬っている。作者からの敬意。
見忘れるほどに衰えた黒染めの尼姿をして、わずかに三、四人ほどお仕えしていらっしゃる。
その人々にも、「さても や。」とばかり ぞ、我も人も言ひ出でたり し。むせぶ涙におぼほれて、言も続けられ ず。
さても=副詞、そういう状態でも、それにしても、そのままでも、そうであっても
や=間投助詞
ばかり=副助詞、(程度)~ほど・ぐらい。(限定)~だけ。
ぞ=強調の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。
たり=完了の助動詞「たり」の連用形、接続は連用形
し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形。係助詞「ぞ」を受けて連体形となっている。係り結び。
られ=可能の助動詞「らる」の未然形、接続は未然形。「る」には「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があるがここは文脈判断。平安以前では下に打消が来て「可能」の意味で用いられることが多い。平安以前では「可能」の意味の時は下に「打消」が来るということだが、下に「打消」が来ているからといって「可能」だとは限らない。鎌倉以降は「る・らる」単体でも可能の意味で用いられるようになった。
ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形
その人々にも、「それにしてもまあ。」とばかり、私もその人も口に出した。むせび泣いて涙にくれて、言葉も続けられない。
今や夢 昔や夢と まよはれて いかに思へど うつつとぞ なき
や=疑問の係助詞。もう一つの「や」も同じ。
れ=自発の助動詞「る」の連用形、接続は未然形。「る・らる」は「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があり、「自発」の意味になるときはたいてい直前に「心情動詞(思う、笑う、嘆くなど)・知覚動詞(見る・知るなど)」があるので、それが識別のポイントである。
自発:「~せずにはいられない、自然と~される」
いかに=副詞、どんなに、どう。
ど=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく。
現(うつつ)=名詞、現実、現世。生きている状態、目が覚めている状態。
ぞ=強調の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。
なき=ク活用の形容詞「無し」の連体形。係助詞「ぞ」を受けて連体形となっている。係り結び。
今や夢 昔や夢と まよはれて いかに思へど うつつとぞなき
今が夢なのか、それとも昔が夢だったのかと迷われて、どんなに考えても、現実のこととは思われない。
仰ぎ見し 昔の雲の 上の月 かかる深山の 影 ぞ 悲しき
し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形
影(かげ)=名詞、姿、形。光。鏡や水などに移る姿、映像。
ぞ=強調の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。
悲しき=シク活用の形容詞「悲し」の連体形。係助詞「ぞ」を受けて連体形となっている。係り結び。
「かかる」が掛詞となっている。
かかる=連体詞、あるいはラ変動詞「斯かり(かかり)」の連体形。このような、こういう。
かかる=ラ行四段動詞「懸かる/掛かる(かかる)」の連体形
※掛詞=同音異義を利用して、一つの語に二つ以上の意味を持たせたもの。
掛詞を探すときのポイント(いずれも例外有り)
①ひらがなの部分
②和歌に至るまでの経緯で出て来た単語
③地名などの固有名詞
仰ぎ見し 昔の雲の 上の月 かかる深山の 影ぞ悲しき
かつて宮中でお見かけした雲の上の月のような女院が、このような深い山奥で暮らしていらっしゃるお姿が悲しいことです。
花のにほひ、月の光にたとへても、一方には飽か ざり し御面影、あらぬ かとのみたどらるるに、
にほひ=名詞、色が美しく映えること、艶のある美しさ。嗅覚ではなく視覚的なことを意味しているので注意。
飽か=カ行四段動詞「飽く」の未然形、満足する、飽き飽きする
ざり=打消の助動詞「ず」の連用形、接続は未然形
し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形
ぬ=打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形
か=疑問の係助詞
るる=自発の助動詞「る」の連体形、接続は未然形。「る・らる」は「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があり、「自発」の意味になるときはたいてい直前に「心情動詞(思う、笑う、嘆くなど)・知覚動詞(見る・知るなど)」があるので、それが識別のポイントである。
自発:「~せずにはいられない、自然と~される」
花の美しさや、月の光に例えても、一通りの例え方では満足できなかったお姿が、別人かとばかり記憶をたどって思われるが、
かかる恩事を見ながら、何の思ひ出なき都へとて、されば何とて帰るらむとうとましく 心憂し。
かかる=連体詞、あるいはラ変動詞「かかり」の連体形。このような、こういう。
されば=接続詞、それゆえ、それで、そうであれば、だから。そもそも、いったい。
らむ=現在推量の助動詞「らむ」の終止形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。基本的に「らむ」は文末に来ると「現在推量・現在の原因推量」、文中に来ると「現在の伝聞・現在の婉曲」
うとましく=シク活用の形容詞「疎まし(うとまし)」の連用形、いやだ。気味が悪い。
心憂し=ク活用の形容詞「心憂し(こころうし)」の終止形、いやだ、不愉快だ。情けない、つらい。残念だ、気にかかる。
このようなご様子を見ながら、何の思い出もない都へと、それでどうして帰るのだろうかと嫌でつらく思われる。
山深く とどめおきつる わが心 やがてすむべき しるべとをなれ
つる=完了の助動詞「つ」の連体形、接続は連用形
やがて=副詞、すぐに。そのまま。
べき=可能の助動詞「べし」の連体形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。「べし」は㋜推量㋑意志㋕可能㋣当然㋱命令㋢適当のおよそ六つの意味がある。
を=間投助詞。強調、詠嘆、原因・理由などの意味がある。
「すむ」が掛詞となっており、「澄む」と「住む」が掛けられている。
※掛詞=同音異義を利用して、一つの語に二つ以上の意味を持たせたもの。
掛詞を探すときのポイント(いずれも例外有り)
①ひらがなの部分
②和歌に至るまでの経緯で出て来た単語
③地名などの固有名詞
山深く とどめおきつる わが心 やがてすむべき しるべとをなれ
(女院がいらっしゃる)山深くにとどめて置いてきた私の心よ、そのまま(私が)出家して住むことができる道しるべとなっておくれ。