『須磨の秋』
原文・現代語訳のみはこちら源氏物語『須磨』(月のいとはなやかにさし出でたるに、~)現代語訳
「黒=原文」・「赤=解説」・「青=現代語訳」
月のいとはなやかにさし出でたるに、今宵は十五夜なり けりとおぼし出でて、殿上の御遊び恋しく、
たる=完了の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形
なり=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形
けり=詠嘆の助動詞「けり」の終止形、接続は連用形。「けり」は過去の意味で使われることがほとんどだが、①和歌での「けり」、②会話文での「けり」、③なりけりの「けり」、では詠嘆に警戒する必要がある。①はほぼ必ず詠嘆だが、②③は文脈判断
おぼし出で=ダ行下二段動詞「思し出づ(おぼしいづ)」の連用形、「思ひ出づ」の尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
御遊び=名詞、管弦や詩歌などの貴族にとっての娯楽
月がとても明るく出たので、今夜は十五夜であったなあと思い出しなさって、殿上での管弦の御遊びが恋しく、
ところどころながめ 給ふ らむ かしと思ひやり給ふにつけても、月の顔のみまもら れ 給ふ。
ながめ=マ行下二段動詞「眺む(ながむ)」の連用形、じっとみる、眺める。物思いに沈む。「詠む(ながむ)」だと詩歌などを読む、つくるといった意味もある。
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の終止形、尊敬語。動作の主体である(都にいる)あの方やこの方を敬っている。作者からの敬意。
らむ=現在推量の助動詞「らむ」の終止形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。基本的に「らむ」は文末に来ると「現在推量・現在の原因推量」、文中に来ると「現在の伝聞・現在の婉曲」
かし=念押しの終助詞、文末に用いる、~よ。~ね。
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連体形、尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
まもら=ラ行四段動詞「守る(まもる)」の未然形、目を離さずに見る、じっと見つめる、見守る。
れ=自発の助動詞「る」の連用形、接続は未然形。「る・らる」は「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があり、「自発」の意味になるときはたいてい直前に「心情動詞(思う、笑う、嘆くなど)・知覚動詞(見る・知るなど)」があるので、それが識別のポイントである。自発:「~せずにはいられない、自然と~される」
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の終止形、尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
(都にいる)あの方もこの方も(この月を)眺めていらっしゃるだろうよと思いなさるにつけても、月の面ばかりをじっと見つめていらっしゃる。
「二千里外故人心。」と誦じ 給へ る、例 の涙もとどめられ ず。
誦じ=サ変動詞「誦ず(ずず)」の連用形、声に出して唱える、口ずさむ。 「名詞+す(サ変動詞)」で一つのサ変動詞になるものがいくらかある。例:「音す」、「愛す」、「ご覧ず」
給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
る=完了の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形
例=名詞、いつもの事、普段。当たり前の事、普通。
の=連用格の格助詞、「~のように」と訳す。
散文の場合は「例の+用言」と言う使い方で「いつものように~」と訳す。
韻文(和歌など)の場合は2句と3句の末尾に「の」来て、連用格として使われることがよくある。また、その場合序詞となる。
られ=可能の助動詞「らる」の未然形、接続は未然形。「る」には「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があるがここは文脈判断。平安以前では下に打消が来て「可能」の意味で用いられることが多い。平安以前では「可能」の意味の時は下に「打消」が来るということだが、下に「打消」が来ているからといって「可能」だとは限らない。鎌倉以降は「る・らる」単体でも可能の意味で用いられるようになった。
ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形
「二千里の外故人の心。」と口ずさみなさると、(周りの人々は)いつものように涙を止めることができない。
入道の宮の、「霧や 隔つる。」とのたまはせ しほど、言はむ方なく恋しく、折々のこと思ひ出で給ふに、よよと泣かれ 給ふ。
や=疑問の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。
隔つる=タ行下二段動詞「隔つ(へだつ)」の連体形。係助詞「や」を受けて連体形となっている。係り結び。
のたまはせ=サ行下二動詞「宣はす(のたまはす)」の連用形、「言ふ」の尊敬語。「のたまふ」より敬意が強い。おっしゃる。動作の主体である入道の宮を敬っている。作者からの敬意。
し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形
言はむ方なく=言いようもなく
「言は(動詞・未然形)/む(婉曲の助動詞・連体形)/方(名詞、方法)/無く(ク活用形容詞・連用形)」
む=婉曲の助動詞「む」の連体形、接続は未然形。この「む」は、㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文中に来ると「㋕仮定・㋓婉曲」のどれかである。直後に体言があると婉曲になりがち。
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連体形、尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
れ=自発の助動詞「る」の連用形、接続は未然形。「る・らる」は「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があり、「自発」の意味になるときはたいてい直前に「心情動詞(思う、笑う、嘆くなど)・知覚動詞(見る・知るなど)」があるので、それが識別のポイントである。自発:「~せずにはいられない、自然と~される」
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の終止形、尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
入道の宮(=藤壺の宮)が、「霧が隔てたのだろうか。」とおっしゃったころが、言いようもなく恋しく、折々のことを思い出しなさると、おいおいとお泣きになる。
「夜更け侍り ぬ。」と聞こゆれ ど、なほ入り給は ず。
侍り=補助動詞ラ変「侍り(はべり)」の連用形、丁寧語。聞き手である光源氏を敬っている。「夜更け侍りぬ。」と発言した人からの敬意。
※「候(さうらふ/さぶらふ)・侍り(はべり)」は補助動詞だと丁寧語「~です、~ます」の意味であるが、本動詞だと、丁寧語「あります、ございます、おります」と謙譲語「お仕え申し上げる、お控え申し上げる」の二つ意味がある。
ぬ=完了の助動詞「ぬ」の終止形、接続は連用形
聞こゆれ=ヤ行下二段動詞「聞こゆ」の已然形、「言ふ」の謙譲語。動作の対象である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
ど=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく。
なほ=副詞、やはり。さらに。それでもやはり。
給は=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の未然形、尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形
「夜が更けました。」と(人々が)申し上げるけれど、やはり(光源氏は寝所に)お入りにならない。
見るほどぞしばし慰むめぐりあはむ月の都ははるかなれども
ぞ=強調の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。
慰む=マ行四段動詞「慰む(なぐさむ)」の連体形。係助詞「ぞ」を受けて連体形となっている。係り結び。
む=婉曲の助動詞「む」の連体形、接続は未然形。この「む」は、㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文中に来ると「㋕仮定・㋓婉曲」のどれかである。直後に体言があると婉曲になりがち。
ども=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく。
見るほどぞ しばし慰む めぐりあはむ 月の都は はるかなれども
(月を)見ている間はしばらく心が慰められる。再びめぐりあう月の都(=京の都)は、はるか遠いけれども。
(後半の意訳:再び京の都に帰ることができる日は、はるか遠いけれども。)
その夜、上のいとなつかしう昔物語などし給ひ し御さまの、院に似奉り 給へ り しも、恋しく思ひ出で聞こえ 給ひて、
上(うえ)=名詞、天皇、主上。天皇の間、殿上の間、清涼殿。ここでは朱雀帝のことを指している。
なつかしう=シク活用の形容詞「懐かし(なつかし)」の連用形が音便化したもの、親しみが感じられる、親しみやすい。心惹かれる様子だ、慕わしい。
給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。動作の主体である上(=朱雀帝)を敬っている。作者からの敬意。
し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形
院=名詞、上皇・法皇・女院。または左記の者達の御所。貴族等の邸宅。ここでは桐壺院のことを指している。
奉り=補助動詞ラ行四段「奉る(たてまつる)」の連用形、謙譲語。動作の対象である院(=桐壺院)を敬っている。作者からの敬意。
給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。動作の主体である上(=朱雀帝)を敬っている。作者からの敬意。
り=存続の助動詞「り」の連用形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形
し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形
聞こえ=補助動詞ヤ行下二「聞こゆ」の連用形、謙譲語。動作の対象である上(=朱雀帝)を敬っている。作者からの敬意。
給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
その夜、朱雀帝がたいそう親しみ深く昔話などなさったご様子が、桐壺院に似申し上げていらっしゃったことも、恋しく思い出し申し上げなさって、
※朱雀帝=光源氏の異母兄。源氏物語の序盤で登場した弘徽殿の女御の子供。
※桐壺院=光源氏の父親。
「恩賜の御衣は今ここにあり。」と誦じ つつ入り給ひ ぬ。
誦じ=サ変動詞「誦ず(ずず)」の連用形、声に出して唱える、口ずさむ。 「名詞+す(サ変動詞)」で一つのサ変動詞になるものがいくらかある。例:「音す」、「愛す」、「ご覧ず」
つつ=接続助詞、①反復「~しては~」②継続「~し続けて」③並行「~しながら」④(和歌で)詠嘆、ここでは③並行「~しながら」の意味。
給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
ぬ=完了の助動詞「ぬ」の終止形、接続は連用形
「恩賜の御衣は今ここにあり。」と口ずさみながら(寝所に)お入りになった。
※「恩賜の御衣は今ここにあり。」=菅原道真の詩の引用。意訳:「主君からいただいた服は今でもここにございます。」
御衣はまことに身放たず、傍らに置き給へ り。
ず=打消の助動詞「ず」の連用形、接続は未然形
給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
り=存続の助動詞「り」の終止形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形
(朱雀帝からいただいた)御衣は(道真の詩のとおり)本当に身から離さず、そばに置いていらっしゃる。
憂しとのみひとへにものは思ほえ で左右にも濡るる袖かな
憂し=ク活用の形容詞「憂し(うし)」の終止形、いやだ、にくい、気に食わない、つらい
ひとへに=副詞、ひたすら、一途に
思ほえ=ヤ行下二段動詞「思ほゆ」の未然形、(自然と)思われる
で=打消の接続助詞、接続は未然形。「ず(打消の助動詞)+して(接続助詞)」→「で」となったもの。
かな=詠嘆の終助詞
憂しとのみ ひとへにものは 思ほえで 左右にも 濡るる袖かな
(帝に対して)恨めしいとばかりひたすらには思われないで、(恨めしさと懐かしさで)左も右も(涙で)濡れる袖であるよ。
※光源氏が須磨に下ることになった原因は兄である朱雀帝にもあるため、朱雀帝のことを恨めしく思う一方で、懐かしくも思っている。
源氏物語『須磨』(月のいとはなやかにさし出でたるに、~)現代語訳