「黒=原文」・「赤=解説」・「青=現代語訳」
【主な登場人物】
大入道殿=藤原兼家、道長・道隆・道兼の親。 中の関白殿=藤原道隆、兼家の子。 粟田殿=藤原道兼、兼家の子。 入道殿=藤原道長、兼家の子。教通の親 内大臣殿=藤原教通、道長の子 四条の大納言=藤原公任
原文・現代語訳のみはこちら大鏡『肝だめし』現代語訳(3)
「子四つ。」と奏して、かく 仰せ られ議するほどに、丑にもなり に けむ。
奏し=サ変動詞「奏す(そうす)」の連用形、「言ふ」の謙譲語。絶対敬語と呼ばれるもので、「天皇・上皇」に対してしか用いない。よって、帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。
訳:「天皇(あるいは上皇)に申し上げる」
斯く(かく)=副詞、こう、このように。
仰せ=サ行下二段動詞「仰す(おほす)」の未然形。「言ふ」の尊敬語、おっしゃる。動作の主体を敬っている。作者からの敬意。
られ=尊敬の助動詞「らる」の連用形、接続は未然形。直前の「仰せ」と合わせて二重敬語。助動詞「らる」には「受身・尊敬・自発・可能」の4つの意味があるが、「仰せらる」の場合の「らる」は必ず「尊敬」と思ってよい。
なり=ラ行四段動詞「成る(なる)」の連用形
に=完了の助動詞「ぬ」の連用形、接続は連用形
けむ=過去推量の助動詞「けむ」の終止形、接続は連用形。基本的に「けむ」は文末に来ると「過去推量・過去の原因推量」、文中に来ると「過去の伝聞・過去の婉曲」。
「子四つ(=午前一時半頃)。」と(役人が天皇に)申し上げてから、このようにおっしゃって相談するうちに、丑の刻(=午前二時頃)にもなったのであろう。
「道隆は右衛門の陣より出でよ。道長は承明門より出でよ。」と、それをさへ分かたせ 給へ ば、
より=格助詞、(起点)~から。(手段・用法)~で。(経過点)~を通って。(即時:直前に連体形がきて)~するやいなや。
さへ=副助詞、添加(~までも)。類推(~さえ)。
せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。
給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。
※尊敬語は動作の主体を敬う
※謙譲語は動作の対象を敬う
※丁寧語は言葉の受け手(聞き手・詠み手)を敬う。
どの敬語も、その敬語を実質的に使った人間からの敬意である。
ば=接続助詞、直前が已然形だから①原因・理由「~なので、~から」②偶然条件「~ところ・~と」③恒常条件「(~する)といつも」のどれかであるが、文脈判断をして①の意味でとる。ちなみに、直前が未然形ならば④仮定条件「もし~ならば」である。
(帝は、)「道隆は右衛門の陣から出よ。道長は承明門から出よ。」と、それ(=出て行く場所)までもお分けなったので、
しか おはしましあへ るに、中の関白殿、陣まで念じておはしまし たるに、
しか(然)=副詞、そう、そのように、そのとおり。
おはしましあへ=ハ行四段動詞「おはしましあふ」の已然形、「あり」「行く」「来」の尊敬語。動作の主体である道長・道隆・道兼を敬っている。作者からの敬意。
る=完了の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形
念じ=サ変動詞「念ず」の連用形、我慢する、耐え忍ぶ。 「名詞+す(サ変動詞)」で一つのサ変動詞になるものがいくらかある。例:「音す」、「愛す」、「ご覧ず」
おはしまし=サ行四段動詞「おはします」の連用形。「あり・居り・行く・来」の尊敬語。「おはす」より敬意が高い言い方。いらっしゃる、おられる、あおりになる。動作の主体である中の関白殿(=藤原道隆)を敬っている。作者からの敬意。
たる=完了の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形
そのようにそれぞれお出かけになったところ、中の関白殿(=道隆)は、(右衛門の)陣までは我慢していらっしゃったが、
宴の松原のほどに、そのものともなき声どもの聞こゆるに、術なくて帰り給ふ。
術なく=ク活用の形容詞「術無し(ずちなし)」連用形、なすべき方法がない、どうしようもない
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の終止形、尊敬語。動作の主体である中の関白殿(=藤原道隆)を敬っている。作者からの敬意。
宴の松原の辺りで、何とも得体の知れない声などが聞こえるので、どうしようもなくてお帰りになる。
粟田殿は、露台の外まで、わななくわななく おはし たるに、
わななくわななく=ぶるぶる震えて
おはし=サ変動詞「おはす」の連用形、「あり・居り・行く・来」の尊敬語。いらっしゃる、おられる、あおりになる。動作の主体である粟田殿(=藤原道兼)を敬っている。作者からの敬意。
たる=完了の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形
粟田殿(=道兼)は、露台の外まで、ぶるぶる震えていらっしゃったが、
仁寿殿の東面の砌のほどに、軒と等しき人のあるやうに 見え 給ひ けれ ば、ものもおぼえ で、
やうに=比況の助動詞「やうなり」の連用形
見え=ヤ行下二段動詞「見ゆ」の連用形、見える、分かる、思われる。「ゆ」には「受身・自発・可能」の意味が含まれていたり、「見ゆ」には多くの意味がある。
給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。動作の主体である粟田殿(=藤原道兼)を敬っている。作者からの敬意。
けれ=過去の助動詞「けり」の已然形、接続は連用形
ば=接続助詞、直前が已然形であり、①原因・理由「~なので、~から」の意味で使われている。
おぼえ=ヤ行下二段動詞「思ゆ・覚ゆ(おぼゆ)」の未然形。「ゆ」には受身・自発・可能の意味が含まれている。
で=打消の接続助詞、接続は未然形。「ず(打消しの助動詞)+して(接続助詞)」→「で」となったもの。
仁寿殿の東側の敷石の辺りに、軒と同じぐらいの(身長の)人がいるように見えなさったので、正気を失って、
「身の候は ば こそ、仰せ言も承らめ。」とて、
候は=ハ行四段動詞「候ふ(さぶらふ)」の未然形、「あり・居り」の丁寧語。言葉の受け手を敬っている。粟田殿(=藤原道兼)からの敬意。
ば=接続助詞、直前が未然形であり、④仮定条件「もし~ならば」の意味で使われている。
こそ=強調の係助詞、結びは已然形となる。係り結び。
め=推量の助動詞「む」の已然形、接続は未然形。係助詞「こそ」を受けて連体形となっている。係り結び。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文末に来ると「㋜推量・㋑意志・㋕勧誘」のどれかである。
「わが身が無事でございましてこそ、(帝の)ご命令もお受けできるだろう。」と思って、
おのおの立ち帰り参り 給へ れ ば、御扇をたたきて笑はせ 給ふに、
参り=ラ行四段動詞「参る(まいる)」の連用形、謙譲語。おそらく動作の対象である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。
給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。動作の主体である中の関白殿(=藤原道隆)・粟田殿(=藤原道兼)を敬っている。作者からの敬意。
れ=完了の助動詞「り」の已然形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形
ば=接続助詞、直前が已然形であり、①原因・理由「~なので、~から」の意味で使われている。
せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連体形、尊敬語。
それぞれ引き返して参りなさったので、(帝は)御扇をたたいて笑いなさるが、
入道殿は、いと久しく見えさせ 給は ぬを、いかがと思し召すほどにぞ、
させ=尊敬の助動詞「さす」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である入道殿(=藤原道長)を敬っている。作者からの敬意。
給は=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の未然形、尊敬語。
ぬ=打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形
いかが=副詞、どんなに ~か。どうして ~か。
思し召す=サ行四段動詞「思し召す(おぼしめす)」の連体形、「思ふ」の尊敬語。動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。
ぞ=強調の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。
入道殿(=道長)は、たいそう長い間お見えにならないので、どうしたのかとお思いになっているうちに、
いとさりげなく、事にもあらずげにて、参ら せ 給へ る。
参ら=ラ行四段動詞「参る(まいる)」の未然形、謙譲語。動作の対象である花山院を敬っている。作者からの敬意。
せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である入道殿(=藤原道長)を敬っている。作者からの敬意。
給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。
る=完了の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形。係助詞「ぞ」を受けて連体形となっている。係り結び。
たいそう何気なく、なんということもない様子で、帰って参りなさった。
「いかにいかに。」と問はせ 給へ ば、
いかに=副詞、どんなに、どう。
せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。
給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。
ば=接続助詞、直前が已然形であり、②偶然条件「~ところ・~と」の意味で使われている。
(帝が、)「どうしたどうした。」と尋ねなさると、
いとのどやかに、御刀に、削られ たるものを取り具して奉ら せ 給ふに、
のどやかに=ナリ活用の形容動詞「のどやかなり」の連用形、ゆったりとしている。穏やかだ。
れ=受身の助動詞「る」の連用形、接続は未然形。「る・らる」には「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があるがここは文脈判断。
たる=完了の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形
取り具し=サ変動詞「取り具す」の連用形
「具す(ぐす)」=サ変動詞、引き連れる、一緒に行く、伴う。持っている。
奉ら=補助動詞ラ行四段「奉る(たてまつる)」の未然形、謙譲語。動作の対象である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。
せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である入道殿(=藤原道長)を敬っている。作者からの敬意。
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連体形、尊敬語。
(入道殿は)たいそう落ち着いて、御刀に、削り取られたものを取り添えて(帝に)差し上げなさるので、
「こは何ぞ。」と仰せ らるれ ば、
こ=代名詞、これ、ここ
ぞ=強調の係助詞
仰せ=サ行下二段動詞「仰す(おほす)」の未然形。「言ふ」の尊敬語、おっしゃる。動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。
らるれ=尊敬の助動詞「らる」の已然形、接続は未然形。直前の「仰せ」と合わせて二重敬語。助動詞「らる」には「受身・尊敬・自発・可能」の4つの意味があるが、「仰せらる」の場合の「らる」は必ず「尊敬」と思ってよい。
ば=接続助詞、直前が已然形であり、②偶然条件「~ところ・~と」の意味で使われている。
(帝が、)「これは何か。」とおっしゃると、
「ただにて帰り参りて侍ら むは、証候ふ まじきにより、
帰り参り=ラ行四段動詞「帰り参る(まいる)」の連用形、謙譲語。動作の対象である帝(=花山院)を敬っている。入道殿(=藤原道長)からの敬意。
侍ら=補助動詞ラ変「侍り(はべり)」の未然形、丁寧語。言葉の受け手である帝(=花山院)を敬っている。入道殿(=藤原道長)からの敬意。
む=仮定の助動詞「む」の連体形。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文中に来ると「㋕仮定・㋓婉曲」のどちらかである。訳:「(もしも)帰って参りましたならば」
候ふ=補助動詞ハ行四段「候ふ(さぶらふ)」の終止形、丁寧語。帝(=花山院)を敬っている。入道殿(=藤原道長)からの敬意。
まじき=打消推量の助動詞「まじ」の連体形、接続は終止形(ラ変なら連体形)
(入道殿は、)「何も持たずに帰って参りましたならば、証拠がございませんでしょうから、
高御座の南面の柱のもとを削りて候ふ なり。」と、
候ふ=補助動詞ハ行四段「候ふ(さぶらふ)」の連体形、丁寧語。帝(=花山院)を敬っている。入道殿(=藤原道長)からの敬意。
なり=断定の助動詞「なり」の終止形、接続は体言・連体形。直前に四段活用の終止形or連体形が来たときの「なり」は「断定・存在・伝聞・推定」の四つの可能性があるので注意。「なり」の直前に場所を表す体言(名詞)がないなら、「存在」の意味にはならない。「なり」以前に音声語が出てないなら、「推定」の可能性は低い。よって、ここは「断定」か「伝聞」のどちらかということになり、後は文脈判断。
(大極殿の)高御座の南側の柱の下を削ってございますのです。」と、
つれなく 申し 給ふに、いとあさましく 思し召さ る。
つれなく=ク活用の形容詞「つれなし」の連用形、平然としている、素知らぬ顔だ。冷ややかだ、薄情だ、関心を示さない。「連れ無し」ということで、関連・関係がない様子ということに由来する。
申し=サ行四段動詞「申す」の連用形、「言ふ」の謙譲語。動作の対象である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連体形、尊敬語。動作の主体である入道殿(=藤原道長)を敬っている。作者からの敬意。
あさましく=シク活用の形容詞「あさまし」の連用形、驚きあきれる、意外でびっくりすることだ。あまりのことにあきれる。なさけない。
思し召さ=サ行四段動詞「思し召す(おぼしめす)」の未然形、「思ふ」の尊敬語。動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。
る=尊敬の助動詞「る」の終止形、接続は未然形。「る」には「受身・尊敬・自発・可能」の4つの意味がある。ここでは文脈判断。動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。
平然と申し上げなさるので、(帝は)たいそう驚きあきれたこととお思いになる。
異殿たちの御気色は、いかにもなほ直らで、
気色(けしき)=名詞、様子、状態。ありさま、態度、そぶり。
いかに=ナリ活用の形容動詞「いかなり」の連用形。どのようだ、どういうふうだ
なほ=副詞、やはり。さらに。それでもやはり。
で=打消の接続助詞、接続は未然形。「ず(打消しの助動詞)+して(接続助詞)」→「で」となったもの。
他の殿たち(=道隆・道兼)のお顔色は、どうしてもやはり直らなくて、
この殿のかくて 参り 給へ るを、帝よりはじめ感じ ののしら れ 給へ ど、
かくて=副詞、このようにして、こうして
参り=ラ行四段動詞「参る(まいる)」の連用形、謙譲語。動作の対象である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。
給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。動作の主体である入道殿(=藤原道長)を敬っている。作者からの敬意。
る=完了の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形
感じ=サ変動詞「感ず」の連用形、心を動かされる、感動する。 「名詞+す(サ変動詞)」で一つのサ変動詞になるものがいろいろある。例:「音す」、「愛す」、「ご覧ず」
ののしら=ラ行四段動詞「罵る(ののしる)」の未然形、大声で騒ぐ、大騒ぎする
れ=尊敬の助動詞「る」の連用形、接続は未然形。「る」には「受身・尊敬・自発・可能」の4つの意味がある。ここでは文脈判断。動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。
給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。
ど=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく。
この殿(=道長)がこのように帰って参りなさったのを、帝をはじめとして感心して褒め騒ぎなさったけれど、
うらやましきに や、またいかなる に か、
に=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形。もう一つの「に」も同じ。
や=疑問の係助詞、結びは連体形となるが、直後に「あら(ラ変動詞・未然形)/む(推量の助動詞・連体形)」などが省略されている。係り結びの省略。
※今回のように係助詞の前に「に(断定の助動詞)」がついている時は「あり(ラ変動詞)」などが省略されている。場合によって敬語になったり、助動詞がついたりする。
「にや・にか」だと、「ある・侍る(「あり」の丁寧語)・あらむ・ありけむ」など
「にこそ」だと、「あれ・侍れ・あらめ・ありけめ」など
「にや(あらむ)。」→「~であろうか。」
いかなる=ナリ活用の形容動詞「いかなり」の連体形。どのようだ、どういうふうだ
か=疑問の係助詞、結びは連体形となるが、上記の「や」と同様に「あらむ」などが省略されている。係り結びの省略。
(道隆と道兼は)うらやましいのであろうか、またどういうことであろうか、
ものも言はで ぞ 候ひ 給ひ ける。
で=打消の接続助詞、接続は未然形。「ず(打消しの助動詞)+して(接続助詞)」→「で」となったもの。
ぞ=強調の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。
候ひ=ハ行四段動詞「候ふ(さぶらふ)」の連用形、謙譲語。お仕え申し上げる、おそばにいる。動作の対象である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。
給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。動作の主体である中の関白殿(=藤原道隆)・粟田殿(=藤原道兼)
を敬っている。作者からの敬意。
ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形
何も言わないでお控えしていらっしゃった。
なほ疑はしく思し召さ れ けれ ば、つとめて、
なほ=副詞、やはり。さらに。それでもやはり。
思し召さ=サ行四段動詞「思し召す(おぼしめす)」の未然形、「思ふ」の尊敬語。動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。
れ=尊敬の助動詞「る」の連用形、接続は未然形。「る」には「受身・尊敬・自発・可能」の4つの意味がある。ここでは文脈判断。動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。
けれ=過去の助動詞「けり」の已然形、接続は連用形
ば=接続助詞、直前が已然形であり、①原因・理由「~なので、~から」の意味で使われている。
つとめて=名詞、早朝、朝早く。翌朝。
(帝は)それでもやはり、疑わしくお思いになっていらっしゃったので、翌朝、
「蔵人して、削り屑をつがはしてみよ。」と仰せ言あり けれ ば、
して=格助詞、①共同「~とともに」、②手段・方法「~で」、③使役の対象「~に命じて」の三つの意味があるが、ここでは③使役の対象「~に命じて」の意味。
あり=ラ変動詞「あり」の連用形
けれ=過去の助動詞「けり」の已然形、接続は連用形
ば=接続助詞、直前が已然形であり、①原因・理由「~なので、~から」の意味で使われている。
「蔵人に命じて、削り屑を(もとの所に)あてがわせてみよ。」とご命令があったので、
持て行きて押し付けて見たうび けるに、つゆ違はざり けり。
たうび=補助動詞バ行四段「たうぶ」の連用形、尊敬語。「給ふ」の発音だけが変化したもの。動作の主体である蔵人を敬っている。作者からの敬意。
ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形
つゆ=「つゆ」の後に打消語(否定語)を伴って、「まったく~ない・少しも~ない」となる重要語。ここでは「ざり」が打消語
ざり=打消の助動詞「ず」の連用形、接続は未然形
けり=過去の助動詞「けり」の終止形、接続は連用形
(蔵人が)持って行って押しつけてご覧になったところ、少しも違わなかった。
その削り跡は、いとけざやかにて侍 めり。
けざやかに=ナリ活用の形容動詞「けざやかなり」の連用形、あざやかだ、はっきりしている、きわだっている。
侍=補助動詞ラ変「侍り(はべり)」の連体形が音便化して無表記化されたもの。「侍るめり」→「侍んめり(音便化)」→「侍めり(無表記化)」。丁寧語。言葉の受け手である読者を敬っている。作者からの敬意。
めり=婉曲の助動詞「めり」の終止形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。視覚的なこと(見たこと)を根拠にする推定の助動詞である。婉曲とは遠回しな表現。「~のような」と言った感じで訳す。
その削り跡は、たいそうはっきりと残っているようです。
末の世にも、見る人はなほ あさましきことにぞ 申し し かし。
なほ=副詞、やはり。さらに。それでもやはり。
あさましき=シク活用の形容詞「あさまし」の連体形、驚きあきれる、意外でびっくりすることだ。あまりのことにあきれる。なさけない。
ぞ=強調の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。
申し=サ行四段動詞「申す」の連用形、「言ふ」の謙譲語。動作の対象を敬っている。作者からの敬意。
し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形。係助詞「ぞ」を受けて連体形となっている。係り結び。
かし=念押しの終助詞、文末に用いる、~よ。~ね。
後の世にも、(それを)見る人はやはり驚きあきれることと申しましたよ。