「黒=原文」・「赤=解説」・「青=現代語訳」
原文・現代語訳のみはこちら大鏡『花山院の出家』現代語訳(1)
次の帝、花山院天皇と申し き。冷泉院の第一の皇子なり。御母、 贈皇后宮懐子と申す。
申し=サ行四段動詞「申す」の連用形、「言ふ」の謙譲語。動作の対象である花山院を敬っている。作者からの敬意。
※尊敬語は動作の主体を敬う
※謙譲語は動作の対象を敬う
※丁寧語は言葉の受け手(聞き手・詠み手)を敬う。
どの敬語も、その敬語を実質的に使った人間からの敬意である。
き=過去の助動詞「き」の終止形、接続は連用形
なり=断定の助動詞「なり」の終止形、接続は体言・連体形
申す=サ行四段動詞「申す」の終止形、「言ふ」の謙譲語。動作の対象である贈皇后宮懐子を敬っている。作者からの敬意。
次の帝は、花山院天皇と申し上げました。冷泉院の第一皇子であります。御母は、贈皇后宮懐子と申し上げます。
永観二年八月二十八日、位につかせ 給ふ。御年十七。
せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である花山院を敬っている。作者からの敬意。
給ふ=補助動詞四段「給ふ(たまふ)」の終止形、尊敬語。
永観二年八月二十八日、(花山院は)天皇の位におつきになりました。御年十七歳でした。
寛和二年丙戌六月二十二日の夜、あさましく 候ひ しことは、人にも知らせ させ 給は で、
あさましく=シク活用の形容詞「あさまし」の連用形、驚きあきれる、意外でびっくりすることだ。あまりのことにあきれる。なさけない。
候ひ=補助動詞ハ行四段「候ふ(さぶらふ)」の連用形、丁寧語。読者を敬っている。作者からの敬意。
※「候ふ(さぶらふ)・侍り(はべり)」は補助動詞だと丁寧語「~です、~ます」の意味であるが、本動詞だと、丁寧語「あります、ございます、おります」と謙譲語「お仕え申し上げる、お控え申し上げる」の二つ意味がある。
し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形
せ=使役の助動詞「す」の未然形、接続は未然形。「す・さす・しむ」には、「使役と尊敬」の二つの意味があるが、直後に尊敬語が来ていない場合は必ず「使役」の意味である。
させ=尊敬の助動詞「さす」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である花山院を敬っている。作者からの敬意。
給は=補助動詞四段「給ふ(たまふ)」の未然形、尊敬語。
で=打消の接続助詞、接続は未然形。「ず(打消しの助動詞)+して(接続助詞)」→「で」となったもの。
寛和二年丙犬の年の六月二十二日の夜、驚きあきれてしまいましたことには、(花山院は)誰にもお知らせにならないで、
みそかに花山寺におはしまして、御出家入道せ させ 給へ り し こそ。御年十九。
みそかに=ナリ活用の形容動詞「密かなり(みそかなり)」の連用形、人目に付かないようにひそかにするさま、こっそり。
おはしまし=サ行四段動詞「おはします」の連用形。「あり・居り・行く・来」の尊敬語。「おはす」より敬意が高い言い方。いらっしゃる、おられる、あおりになる。動作の主体である花山院を敬っている。作者からの敬意。
せ=サ変動詞「す」の未然形、する。
させ=尊敬の助動詞「さす」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である花山院を敬っている。作者からの敬意。
給へ=補助動詞四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。
り=完了の助動詞「り」の連用形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形
し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形
こそ=強調の係助詞、結びは已然形となるが、直後に「あれ(ラ変動詞・已然形)」、「侍れ(ラ変動詞・丁寧語・已然形)」などが省略されている。係り結びの省略。
こっそりと花山寺においでになって、御出家入道なさったのでございます。御年十九歳でした。
世を保たせ 給ふこと二年。その後二十二年おはしまし き。
せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である花山院を敬っている。作者からの敬意。
給ふ=補助動詞四段「給ふ(たまふ)」の連体形、尊敬語。
おはしまし=サ行四段動詞「おはします」の連用形。「あり・居り・行く・来」の尊敬語。「おはす」より敬意が高い言い方。いらっしゃる、おられる、あおりになる。動作の主体である花山院を敬っている。作者からの敬意。
き=過去の助動詞「き」の終止形、接続は連用形
(天皇としての)世をお治めになること二年でした。(出家した)その後、二十二年生きていらっしゃいました。
あはれなることは、おり おはしまし ける夜は、藤壺の上の御局の小戸より出でさせ 給ひ けるに、
あはれなる=ナリ活用の形容動詞「あはれなり」の連体形。「あはれ」はもともと感動したときに口に出す感動詞であり、心が動かされるという意味を持つ。しみじみと感じられる、しみじみと思う、しみじみとした情趣がある
おり=ラ行上二段動詞「下る(おる)」の連用形
おはしまし=サ行四段動詞「おはします」の連用形。「あり・居り・行く・来」の尊敬語。「おはす」より敬意が高い言い方。いらっしゃる、おられる、あおりになる。動作の主体である花山院を敬っている。作者からの敬意。
ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形。もう一つの「ける」も同じ。
より=格助詞、(起点)~から。(手段・用法)~で。(経過点)~を通って。(即時:直前に連体形がきて)~するやいなや。
させ=尊敬の助動詞「さす」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である花山院を敬っている。作者からの敬意。
給ひ=補助動詞四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。
しみじみと思われることは、(花山院が)ご退位なさった夜、藤壺の上の御局の小戸からお出ましになったところ、
有明の月のいみじく明かかりけれ ば、
いみじく=シク活用の形容詞「いみじ」の連用形、(いい意味でも悪い意味でも)程度がひどい、甚だしい、とても。
けれ=過去の助動詞「けり」の已然形、接続は連用形
ば=接続助詞、直前が已然形だから①原因・理由「~なので、~から」②偶然条件「~ところ・~と」③恒常条件「(~する)といつも」のどれかであるが、文脈判断をして①の意味でとる。ちなみに、直前が未然形ならば④仮定条件「もし~ならば」である。
有明の月がたいそう明るかったので、
「顕証に こそ あり けれ。いかが す べから む。」
顕証に=ナリ活用の形容動詞「顕証なり(けそうなり)」の連用形、あらわである様子、はっきりしているさま
こそ=強調の係助詞、結びは已然形となる。係り結び。
あり=ラ変動詞「あり」の連用形
けれ=詠嘆の助動詞「けり」の終止形、接続は連用形。係助詞「こそ」を受けて已然形となっている。係り結び。「けり」は過去の意味で使われることがほとんどだが、①和歌での「けり」②会話文での「けり」③なりけりの「けり」では詠嘆に警戒する必要がある。①はほぼ必ず詠嘆だが、②③は文脈判断。
いかが=副詞、どんなに ~か。どうして ~か。「いかが」には反語・疑問の係助詞「か」が含まれており、係り結びがおこっている。
す=サ変動詞「す」の終止形、する。
べから=適当の助動詞「べし」の未然形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。「べし」は㋜推量㋑意志㋕可能㋣当然㋱命令㋢適当のおよそ六つの意味がある。
む=推量の助動詞「む」の連体形、接続は未然形。係助詞「か」を受けて連体形となっている。係り結び。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文末に来ると「㋜推量・㋑意志・㋕勧誘」のどれかである。
(花山院が、)「(月の光で姿が)目立ってしまっているなあ。どうしたらよいだろうか。」
と仰せ られ けるを、
仰せ=サ行下二段動詞「仰す(おほす)」の未然形。「言ふ」の尊敬語、おっしゃる。動作の主体である花山院を敬っている。作者からの敬意。
られ=尊敬の助動詞「らる」の連用形、接続は未然形。直前の「仰せ」と合わせて二重敬語、いずれも花山院を敬っている。助動詞「らる」には「受身・尊敬・自発・可能」の4つの意味があるが、「仰せらる」の場合の「らる」は必ず「尊敬」と思ってよい。
ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形
とおっしゃったのを、
「さりとて、とまらせ 給ふ べき やう 侍ら ず。神璽・宝剣わたり給ひ ぬるには。」
さりとて(然りとて)=接続詞、そうかといって、だからといって、それにしても
せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である花山院を敬っている。粟田殿(=藤原道兼)からの敬意。
給ふ=補助動詞四段「給ふ(たまふ)」の終止形、尊敬語。
べき=可能の助動詞「べし」の連体形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。「べし」は㋜推量㋑意志㋕可能㋣当然㋱命令㋢適当のおよそ六つの意味がある。
様(やう・よう)=名詞、様子。わけ、理由。様式、手本。形、姿。方法。
侍ら=ラ変動詞「侍り(はべり)」の未然形、「あり・居り」の丁寧語。言葉の受け手である花山院を敬っている。粟田殿(=藤原道兼)からの敬意。
ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形
給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。おそらく動作の主体である神璽と宝剣を敬っている。粟田殿(=藤原道兼)からの敬意。
ぬる=完了の助動詞「ぬ」の連体形、接続は連用形
「そうかといって、(出家を)お取りやめになれる理由はございません。神璽・宝剣も(すでに皇太子のもとに)お渡りになってしまいましたので。」
と粟田殿のさわがし申し 給ひ けるは、
申し=サ行四段動詞「申す」の連用形、「言ふ」の謙譲語。動作の対象である花山院を敬っている。作者からの敬意。
給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。動作の主体である粟田殿(=藤原道兼)を敬っている。作者からの敬意。
ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形
と粟田殿(=藤原道兼)がせきたて申し上げなさったのは、
まだ帝出でさせ おはしまさ ざり けるさきに、
させ=尊敬の助動詞「さす」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「おはします」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である花山院を敬っている。作者からの敬意。
おはしまさ=補助動詞サ行四段「おはします」の未然形、尊敬語。「おはす」より敬意が高い言い方。動作の主体である花山院を敬っている。作者からの敬意。
ざり=打消の助動詞「ず」の連用形、接続は未然形
ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形
まだ帝(=花山院)がお出ましにならなかったその前に、
手づからとりて、春宮の御方に渡し奉り 給ひ て けれ ば、
奉り=補助動詞ラ行四段「奉る(たてまつる)」の連用形、謙譲語。動作の対象である春宮(=皇太子)を敬っている。作者からの敬意。
給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。動作の主体である粟田殿(=藤原道兼)を敬っている。作者からの敬意。
て=完了の助動詞「つ」の連用形
けれ=過去の助動詞「けり」の已然形、接続は連用形
ば=接続助詞、直前が已然形であり、①原因・理由「~なので、~から」の意味で使われている。
(粟田殿が)みずから(神璽と宝剣を)取って、皇太子の御方にお渡し申し上げなさっていたので、
春宮(とうぐう)=名詞、東宮、皇太子
帰り入らせ 給は むことはある まじく 思して、
せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である花山院を敬っている。作者からの敬意。
給は=補助動詞四段「給ふ(たまふ)」の未然形、尊敬語。
む=婉曲の助動詞「む」の連体形、接続は未然形。この「む」は、㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文中に来ると「㋕仮定・㋓婉曲」のどれかである。直後に体言があると婉曲になりがち。婉曲とは遠回しな表現。
訳:「お帰りになる(ような)こと」
ある=ラ変動詞「あり」の連体形
まじく=打消当然の助動詞「まじ」の連用形、接続は終止形(ラ変なら連体形)
思し=サ行四段動詞「思す(おぼす)」の連用形。「思ふ」の尊敬語。動作の主体である粟田殿(=藤原道兼)を敬っている。作者からの敬意。
(花山院が宮中に)お帰りになるようなことはあってはならないとお思いになって、
しか 申さ せ 給ひ けるとぞ。
然(しか)=副詞、そのように、そのとおりに
申さ=サ行四段動詞「申す」の未然形、「言ふ」の謙譲語。動作の対象である花山院を敬っている。作者からの敬意。
せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である粟田殿(=藤原道兼)を敬っている。作者からの敬意。
給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。
ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形
ぞ=強調の係助詞、結びは連体形となるはずだが、ここでは省略されている。係り結びの省略。「言ふ・聞く(連体形)」などが省略されている。
※今回のように係助詞の前に「と(格助詞)」がついている時は「言ふ・聞く」などが省略されている。場合によって敬語になったり、助動詞がついたりする。
「とぞ・となむ・にや・にか」だと、「言ふ・聞く(連体形)」など
「とこそ」だと、「言へ・聞け(已然形)」など
「とぞ(言ふ/聞く)。」→「~ということだ。/~だそうだ。」
そのように申し上げなさったということです。
さやけき 影を、まばゆく思し召し つるほどに、月の顔にむら雲のかかりて、すこし暗がりゆきけれ ば、
さやけき=ク活用の形容詞「さやけし」の連体形、明るい、明るくて澄んでいる、清い。
影(かげ)=名詞、光。姿、形。鏡や水などに移る姿、映像
思し召し=サ行四段動詞「思し召す(おぼしめす)」の連用形、「思ふ」の尊敬語。動作の主体である花山院を敬っている。作者からの敬意。
つる=完了の助動詞「つ」の連体形、接続は連用形
けれ=過去の助動詞「けり」の已然形、接続は連用形
ば=接続助詞、直前が已然形であり、①原因・理由「~なので、~から」の意味で使われている。
明るく澄んでいる月の光を、(花山院が)まぶしくお思いになっているうちに、月の表面にむら雲がかかって、少し暗くなっていったので、
「わが出家は成就する なり けり。」と仰せ られて、
成就する=サ変動詞「成就する(じょうじゅする)」の連体形。 「名詞+す(サ変動詞)」で一つのサ変動詞になるものがいろいろある。例:「音す」、「愛す」、「ご覧ず」
なり=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形
けり=詠嘆の助動詞「けり」の終止形、接続は連用形。「けり」は過去の意味で使われることがほとんどだが、①和歌での「けり」②会話文での「けり」③なりけりの「けり」では詠嘆に警戒する必要がある。①はほぼ必ず詠嘆だが、②③は文脈判断。
仰せ=サ行下二段動詞「仰す(おほす)」の未然形。「言ふ」の尊敬語、おっしゃる。動作の主体である花山院を敬っている。作者からの敬意。
られ=尊敬の助動詞「らる」の連用形、接続は未然形。直前の「仰せ」と合わせて二重敬語、いずれも花山院を敬っている。助動詞「らる」には「受身・尊敬・自発・可能」の4つの意味があるが、「仰せらる」の場合の「らる」は必ず「尊敬」と思ってよい。
「わが出家は成就するのだなあ。」とおっしゃって、
歩み出でさせ 給ふほどに、弘徽殿の女御の御文の、日ごろ破り残して御身も放たず 御覧じ けるを思し召し出でて、
させ=尊敬の助動詞「さす」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である花山院を敬っている。作者からの敬意。
給ふ=補助動詞四段「給ふ(たまふ)」の連体形、尊敬語。
の=格助詞、用法は同格。「で」に置き換えて訳すと良い。「弘徽殿の女御の御文の、日ごろ破り残して御身も放たず御覧じけるを」→「弘徽殿の女御の御手紙で、普段破り捨てないで御身から離さずご覧になっていた手紙を」
日ごろ=副詞、普段(ふだん)。数日間。
ず=打消の助動詞「ず」の連用形、接続は未然形
御覧じ=サ変動詞「御覧ず(ごらんず)」の連用形、ご覧になる。動作の主体である花山院を敬っている。作者からの敬意。
ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形
思し召し出で=サ行四段動詞「思し召し出づ(おぼしめしいづ)」の連用形、「思ふ」の尊敬語。動作の主体である花山院を敬っている。作者からの敬意。
歩き出しなさるうちに、弘徽殿の女御の御手紙で、普段破り捨てないで御身から離さずご覧になっていた手紙を思い出しなさって、
「しばし。」とて、取りに入りおはしまし けるほどぞ かし、
おはしまし=補助動詞サ行四段「おはします」の連用形、尊敬語。「おはす」より敬意が高い言い方。動作の主体である花山院を敬っている。作者からの敬意。
ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形
ぞ=強調の係助詞。ここでは、「ちょうど」をつけると良い。
かし=念押しの終助詞、文末に用いる、~よ。~ね。
「しばらく(待て)。」とおっしゃって、(お手紙を)取りにお入りになったちょうどその時よ、
粟田殿の、「いかに かくは思し召し なら せ おはしまし ぬる ぞ。
いかに=副詞、どんなに、どう。「いかに」の中には係助詞「か」が含まれていて係り結びが起こる。
斯く(かく)=副詞、こう、このように。
思し召し=サ行四段動詞「思し召す(おぼしめす)」の連用形、「思ふ」の尊敬語。動作の主体である花山院を敬っている。粟田殿(=藤原道兼)からの敬意。
なら=ラ行四段動詞「成る」の未然形
せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「おはします」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である花山院を敬っている。粟田殿(=藤原道兼)からの敬意。
おはしまし=補助動詞サ行四段「おはします」の連用形、尊敬語。「おはす」より敬意が高い言い方。動作の主体である花山院を敬っている。粟田殿(=藤原道兼)からの敬意。
ぬる=完了の助動詞「ぬ」の連体形、接続は連用形。係助詞「か」を受けて連体形となっている。係り結び。
ぞ=強調の係助詞
粟田殿が、「どうしてこのように(未練がましく)お思いになりなさったのですか。
ただ今過ぎ ば、おのづから障りも出でまうで来 な む。」
過ぎ=ガ行上二段動詞「過ぐ(すぐ)」の未然形
ば=接続助詞、直前が未然形であり、④仮定条件「もし~ならば」の意味で使われている。
おのづから=副詞、自然に、ひとりでに。まれに、たまたま。もしかして。
出でまうで来(き)=カ変動詞「出でまうで来(く)」の連用形、謙譲語。出て参る。動作の対象である花山院を敬っている。粟田殿(=藤原道兼)からの敬意。
まうで=ダ行下二段動詞「詣づ/参づ(もうづ)」の連用形、「行く」の謙譲語。参る、参上する。お参りする。
な=強意の助動詞「ぬ」の未然形、接続は連用形。「つ・ぬ」は「完了・強意」の二つの意味があるが、直後に推量系統の助動詞「む・べし・らむ・まし」などが来るときには「強意」の意味となる。
む=推量の助動詞「む」の終止形、接続は未然形。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文末に来ると「㋜推量・㋑意志・㋕勧誘」のどれかである。
ただ今(この機会を)逃したら、(出家するのに)自然と支障も出て参るでしょう。」
と、そら泣きし 給ひ けるは。
し=サ変動詞「す」の連用形、する。
給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。動作の主体である粟田殿(=藤原道兼)を敬っている。作者からの敬意。
ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形
と、うそ泣きなさったのは。
※花山院がお手紙を取りに入ったちょうどその時に、粟田殿がうそ泣きをしたということ。
続きはこちら大鏡『花山院の出家』解説・品詞分解(2)