「青=現代語訳」
解説・品詞分解のみはこちら大鏡『花山院の出家』解説・品詞分解(2)
さて、土御門より東ざまに率て出だし参らせ給ふに、
さて、(粟田殿は花山院を)土御門から東の方にお連れ出し申し上げなさるが、
晴明が家の前を渡らせ給へば、みづからの声にて、手をおびただしく、はたはたと打ちて、
(陰陽師の安倍)晴明の家の前をお通りになると、(清明)自身の声で、手を激しく、ぱちぱちとたたいて、
「帝王おりさせ給ふと見ゆる天変ありつるが、
「帝(=花山院)がご退位なさると思われる天の異変があったが、
すでになりにけりと見ゆるかな。
すでに成ってしまったと思われることだよ。
参りて奏せむ。車に装束とうせよ。」
(宮中に)参上して奏上しよう。車に支度を早くしなさい。」
と言ふ声聞かせ給ひけむ、さりともあはれに思し召しけむかし。
と言う声をお聞きになっただろう(その時の花山院のお気持ちは)、そう(=覚悟の上での出家)であってもしみじみと感慨深くお思いになったことでしょうよ。
「且、式神一人内裏に参れ。」
(清明が、)「とりあえず、式神一人が宮中に参上せよ。」
と申しければ、目には見えぬものの戸をおしあけて、御後をや見参らせけむ、
と申し上げると、人の目には見えないものが戸を押し開けて、(花山院の)御後ろ姿を見申し上げたのでしょうか、
「ただ今これより過ぎさせおはしますめり。」といらへけりとかや。
「ただ今、ここを通り過ぎなさっているようです。」と答えたとかいうことです。
その家、土御門町口なれば、御道なりけり。
その家(=清明の家)は、土御門通りと町口通りの交わる所にあるので、(花山院が通る)お道であった。
(3)
花山寺におはしまし着きて、御髪おろさせ給ひて後にぞ、粟田殿は、
花山寺にお着きになって、ご剃髪なさって後に、粟田殿は、
「まかり出でて、大臣にも、変はらぬ姿、いま一度見え、
「(ちょっと今から)退出して、大臣(=粟田殿の父である東三条殿のこと)にも、(私の出家前の)変わらない姿をもう一度見せ、
かくと案内申して、かならず参り侍らむ。」
これこれと(出家する)事情を申し上げて、必ず(こちらへ戻って)参りましょう。」
と申し給ひければ、
と申し上げなさったので、
「朕をば謀るなりけり。」
(花山院は、)「私をだましたのだな。」
※花山院が出家すれば、天皇の座が空き、皇太子が天皇の座につくことができる。この時の皇太子は、粟田殿の父である東三条殿の孫であったため、孫である皇太子が天皇になれば、東三条殿は外戚として政治の実権を握ることができるという背景があった。
要は、花山院が出家して天皇の座を降りれば、粟田殿と東三条殿にとって都合が良いため、普段から粟田殿が花山院の忠実な家臣としてふるまい、この時ようやく花山院を出家させることに成功したということである。花山院にとってはだまされたようなもの。
粟田殿=藤原道兼
東三条殿=藤原兼家、粟田殿の父
とてこそ泣かせ給ひけれ。
とおっしゃってお泣きになった。
あはれに悲しきことなりな。
お気の毒で悲しいことですよ。
日ごろ、よく、「御弟子にて候はむ。」
普段、(粟田殿は)よく、「(帝が出家しても私は)お弟子としてお仕えしましょう。」
と契りて、すかし申し給ひけむが恐ろしさよ。
と約束して、だまし申し上げなさったとかいうのは恐ろしいことですよ。
東三条殿は、「もしさることやし給ふ。」と危ふさに、
東三条殿は、「もしや(粟田殿が)出家するようなことはなさらないか。」と心配で、
※東三条殿=藤原兼家、粟田殿(=藤原道兼)の父親
さるべくおとなしき人々、なにがしかがしといふいみじき源氏の武士たちをこそ、御送りに添へられたりけれ。
ふさわしい思慮分別のある人たちや、だれそれという優れた源氏の武士たちを、護衛としてお送りになったのでした。
京のほどはかくれて、堤の辺よりぞうち出で参りける。
(武士たちは)京の町中では隠れて、(鴨川の)堤の辺りから姿を現して参上した。
寺などにては、「もし、おして人などやなし奉る。」
寺などでは、「もしや、無理矢理に誰かが(粟田殿を)出家させ申し上げるのではないか。」
と、一尺ばかりの刀どもを抜きかけてぞ守り申しける。
と(東三条殿は)思って、一尺ほどの刀を抜きかけてお守り申し上げたということです。