「黒=原文」・「赤=解説」・「青=現代語訳」
さて、「その文は殿上人みな見て し は。」とのたまへ ば、
さて=接続詞、(話題を変えるときに、文頭において)さて、そして、ところで、それで
て=完了の助動詞「つ」の連用形、接続は連用形
し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形
は=強調の係助詞
のたまへ=ハ行四段動詞「宣ふ(のたまふ)」の已然形。「言ふ」の尊敬語。動作の主体である頭の弁(=藤原行成)を敬っている。作者からの敬意。
※尊敬語は動作の主体を敬う
※謙譲語は動作の対象を敬う
※丁寧語は言葉の受け手(聞き手・詠み手)を敬う。
どの敬語も、その敬語を実質的に使った人間からの敬意である。
ば=接続助詞、直前が已然形だから①原因・理由「~なので、~から」②偶然条件「~ところ・~と」③恒常条件「(~する)といつも」のどれかであるが、文脈判断をして①の意味でとる。ちなみに、直前が未然形ならば④仮定条件「もし~ならば」である。
そして、(頭の弁が、)「(あなたが書いた)その手紙は殿上人がみな見てしまったよ。」とおっしゃるので、
「まことに思し けりと、これにこそ知られ ぬれ。
思し=サ行四段動詞「思す(おぼす)」の連用形、「思ふ」の尊敬語。動作の主体である頭の弁(=藤原行成)を敬っている。作者(=清少納言)からの敬意。
けり=詠嘆の助動詞「けり」の終止形、接続は連用形。「けり」は過去の意味で使われることがほとんどだが、①和歌での「けり」②会話文での「けり」③なりけりの「けり」では詠嘆に警戒する必要がある。①はほぼ必ず詠嘆だが、②③は文脈判断
こそ=強調の係助詞、結びは已然形となる。係り結び。
れ=自発の助動詞「る」の連用形、接続は未然形。「る・らる」は「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があり、「自発」の意味になるときはたいてい直前に「心情動詞(思う、笑う、嘆くなど)・知覚動詞(見る・知るなど)」があるので、それが識別のポイントである。
自発:「~せずにはいられない、自然と~される」
ぬれ=完了の助動詞「ぬ」の已然形、接続は連用形。係助詞「こそ」を受けて已然形となっている。係り結び。
(私が、)「(あなたが私の事を)本当にお思いになっていたのだなあと、これで自然と分かりました。
めでたきことなど、人の言ひ伝へぬは、かひなき わざ ぞ かし。
めでたき=ク活用の形容詞「めでたし」の連体形、みごとだ、すばらしい。魅力的だ、心惹かれる。
ぬ=打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形
かひなき=ク活用の形容詞「甲斐無し(かひなし)」の連体形、どうしようもない、かいがない、効果がない、むだだ。取るに足らない、無価値だ。
わざ=名詞、こと、事の次第。おこなひ、動作、しわざ、仕事。仏事、法事、法会
ぞ=強調の係助詞
かし=念押しの終助詞
すばらしいことなどを、人に言い伝えないのは、かいのないことですものね。
また見苦しきこと散るがわびしけれ ば、御文は、いみじう隠して人につゆ見せ侍ら ず。
わびしけれ=シク活用の形容詞「わびし」の已然形、つらい、苦しい、情けない、困ったことだ
ば=接続助詞、直前が已然形であり、①原因・理由「~なので、~から」の意味で使われている。
いみじう=シク活用の形容詞「いみじ」の連用形が音便化したもの、(いい意味でも悪い意味でも)程度がひどい、甚だしい、とても。
つゆ=「つゆ」の後に打消語(否定語)を伴って、「まったく~ない・少しも~ない」となる重要語。ここでは「ず」が打消語
侍ら=補助動詞ラ変「侍り(はべり)」の未然形、丁寧語。言葉の受け手である頭の弁(=藤原行成)を敬っている。作者(=清少納言)からの敬意。
※「候ふ(さぶらふ)・侍り(はべり)」は補助動詞だと丁寧語「~です、~ます」の意味であるが、本動詞だと、丁寧語「あります、ございます、おります」と謙譲語「お仕え申し上げる、お控え申し上げる」の二つ意味がある。
ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形
また、見苦しいことが(世間に)広まるのはつらいので、(あなたの)お手紙は、しっかりと隠して人にまったく見せてございません。
御心ざしのほどを比ぶるに、等しくこそは。」と言へば、
心ざし=名詞、心を向けるところ、心の指すところ。愛情、誠意。
こそ=強調の係助詞、結びは已然形となるが、直後に「侍ら(ラ変動詞・未然形)/め(推量の助動詞・已然形)」などが省略されている。係り結びの省略。
「等しくこそは(侍らめ)。」→「等しいのでございましょう。」
ば=接続助詞、直前が已然形であり、②偶然条件「~ところ・~と」の意味で使われている。
(私とあなたの)お心配りの程度を比べると、等しいのでございましょう。」と言うと、
「かく物を思ひ知りて言ふが、なほ人には似 ず おぼゆる。
斯く(かく)=副詞、こう、このように。
なほ=副詞、やはり。さらに。それでもやはり。
似=ナ行上一段動詞「似る(にる)」の連用形。上一段活用の動詞は「{ ひ・い・き・に・み・ゐ } る」と覚える。
ず=打消の助動詞「ず」の連用形、接続は未然形
おぼゆる=ヤ行下二段動詞「思ゆ・覚ゆ(おぼゆ)」の連体形、自然に思われる、感じる、思われる。「ゆ」には受身・自発・可能の意味が含まれている。
(頭の弁は、)「このように物をわきまえて言うところが、やはり他の人とは違うように思われる。
『思ひ隈なく、悪しう し たり。』など、
思ひ隈なく=ク活用の形容詞「思ひ隈なし」の連用形、思いやりがない、思慮を欠く、浅はかである。
隈なし(くまなし)=ク活用の形容詞、暗い所がない、陰になる所がない、届かない所がない、余す所がない。
悪しう=ク活用の形容詞「悪し(あし)」の連用形が音便化したもの、対義語は「良し(よし)」。「よし>よろし≧普通≧わろし>あし」みたいなイメージ。
し=サ変動詞「す」の連用形、する。
たり=完了の助動詞「たり」の終止形、接続は連用形
『(手紙の内容を人に見せるのは)思いやりがなく、悪いことをしてしまった』
などと、
例の女のやうに や言はむとこそ思ひつれ。」など言ひて、笑ひ給ふ。
例(れい)=名詞、いつもの事、普段。当たり前の事、普通。
やうに=比況の助動詞「やうなり」の連用形
や=疑問の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。
む=推量の助動詞「む」の連体形、接続は未然形。係助詞「や」を受けて連体形となっている。係り結び。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文末に来ると「㋜推量・㋑意志・㋕勧誘」のどれかである。
こそ=強調の係助詞、結びは已然形となる。係り結び。
つれ=完了の助動詞「つ」の已然形、接続は連用形。係助詞「こそ」を受けて已然形となっている。係り結び。
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の終止形、尊敬語。動作の主体である頭の弁(=藤原行成)を敬っている。作者からの敬意。
普通の女性のように言うだろうと思った。」などと言って、お笑いになる。
「こはなどて。喜びをこそ 聞こえ め。」など言ふ。
こ=代名詞、これ、ここ
などて=副詞、どうして、なぜ
喜び=名詞、お礼、お礼の言葉。喜ぶこと。祝うこと、祝い。
こそ=強調の係助詞、結びは已然形となる。係り結び。
聞こえ=ヤ行下二段動詞「聞こゆ」の未然形、「言ふ」の謙譲語。動作の対象である頭の弁(=藤原行成)を敬っている。作者(=清少納言)からの敬意。
め=意志の助動詞「む」の已然形、接続は未然形。係助詞「こそ」を受けて已然形となっている。係り結び。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文末に来ると「㋜推量・㋑意志・㋕勧誘」のどれかである。
(私は、)「これはどうして(そのようなことをおっしゃるのでしょうか)。(恨み言を言うどころか、むしろ)お礼を申し上げましょう。」などと言う。
「まろが文を隠し給ひ ける、また、なほ あはれにうれしきことなり かし。
給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。動作の主体である作者(=清少納言)を敬っている。頭の弁(=藤原行成)からの敬意。
ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形
なほ=副詞、やはり。さらに。それでもやはり。
あはれに=ナリ活用の形容動詞「あはれなり」の連用形。「あはれ」はもともと感動したときに口に出す感動詞であり、心が動かされるという意味を持つ。しみじみと思う、しみじみとした情趣がある
なり=断定の助動詞「なり」の終止形、接続は体言・連体形
かし=念押しの終助詞
(頭の弁は、)「(あなたが)私の手紙をお隠しになったのは、また、やはりしみじみとうれしいことであるよ。
いかに 心憂く つらから まし。
いかに=副詞、どんなに、どう。「いかに」の中には係助詞「か」が含まれていて係り結びが起こる。
心憂く=ク活用の形容詞「心憂し(こころうし)」の連用形、残念だ、気にかかる。いやだ、不愉快だ。情けない、つらい。
つらから=ク活用の形容詞「辛し(つらし)」の未然形
まし=反実仮想の助動詞「まし」の連体形、接続は未然形。係助詞「か」を受けて連体形となっている。係り結び。
(もし、あなたが私の手紙を人に見せていたら、)どんなに不快でつらいことだっただろうか。
今よりも、さを頼み 聞こえ む。」
より=格助詞、(起点)~から。(手段・用法)~で。(経過点)~を通って。(即時:直前に連体形がきて)~するやいなや。
さ=副詞、そう、その通りに、そのように。
頼み=マ行四段動詞「頼む(たのむ)」の連用形。頼みに思う、あてにする。
※四段活用と下二段活用の両方になる動詞があり、下二段になると「使役」の意味が加わり、「頼みに思わせる、あてにさせる」といった意味になる。
聞こえ=補助動詞ヤ行下二「聞こゆ」の未然形、謙譲語。動作の対象である作者(=清少納言)を敬っている。頭の弁(=藤原行成)からの敬意。
む=意志の助動詞「む」の終止形、接続は未然形。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文末に来ると「㋜推量・㋑意志・㋕勧誘」のどれかである。
これからも、そのように(あなたのご配慮を)頼みに思い申し上げよう。」
などのたまひて、後に、経房の中将おはして、
のたまひ=ハ行四段動詞「宣ふ(のたまふ)」の連用形。「言ふ」の尊敬語。動作の主体である頭の弁(=藤原行成)を敬っている。作者からの敬意。
おはし=サ変動詞「おはす」の連用形、「あり・居り・行く・来」の尊敬語。いらっしゃる、おられる、あおりになる。動作の主体である経房の中将を敬っている。作者からの敬意。
などとおっしゃって、(その)後に、経房の中将がいらっしゃって、
「頭の弁はいみじうほめ給ふとは知りたり や。
いみじう=シク活用の形容詞「いみじ」の連用形が音便化したもの、(いい意味でも悪い意味でも)程度がひどい、甚だしい、とても。
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の終止形、尊敬語。動作の主体である頭の弁(=藤原行成)を敬っている。経房の中将からの敬意。
たり=存続の助動詞「たり」の終止形、接続は連用形
や=疑問の係助詞
(経房の中将が、)「頭の弁がたいそう(あなたのことを)褒めなさっていることは知っているか。
一日の文に、ありし事など語り給ふ。思ふ人の、人にほめらるるは、いみじううれしき。」
し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の終止形、尊敬語。動作の主体である頭の弁(=藤原行成)を敬っている。経房の中将からの敬意。
らるる=受身の助動詞「らる」の連体形、接続は未然形。「る・らる」には「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があるがここは文脈判断。
いみじう=シク活用の形容詞「いみじ」の連用形が音便化したもの、(いい意味でも悪い意味でも)程度がひどい、甚だしい、とても。
先日の(頭の弁から私への)手紙に、以前の事(=頭の弁と作者との間のやりとりのこと)などを書いていらっしゃる。(私の)思い人が、人に褒められるのは、とてもうれしいことだ。」
など、まめまめしう のたまふもをかし。
まめまめしう=シク活用の形容詞「まめまめし」の連用形が音便化したもの、実用的だ。真面目だ、誠実だ。
のたまふ=ハ行四段動詞「宣ふ(のたまふ)」の連体形。「言ふ」の尊敬語。動作の主体である経房の中将を敬っている。作者からの敬意。
をかし=シク活用の形容詞「をかし」の終止形。趣深い、趣がある、風情がある。素晴らしい。かわいらしい。こっけいだ、おかしい。カ行四段動詞「招く(をく)」が形容詞化したもので「招き寄せたい」という意味が元になっている。
などと、真面目におっしゃるのも面白い。
「うれしきこと二つにて、かのほめ給ふ なるに、
彼の(かの)=あの、例の。「か(名詞)/の(格助詞)」と品詞分解する。
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の終止形、尊敬語。動作の主体である頭の弁(=藤原行成)を敬っている。作者(=清少納言)からの敬意。
なる=伝聞の助動詞「なり」の連体形、接続は終止形(ラ変は連体形)。直前に来ているものが終止形か連体形か見分けがつかないためこの「なり」には「断定・存在・推定・伝聞」の四つのどれかと言うことになる。
いちおう、近くに音声語(音や声などを表す言葉)が無い場合には、「伝聞」の意味になりがち。なぜなら、この「なり」の推定は音を根拠に何かを推定するときに用いる推定だからである。
しかし、ここは文脈判断が妥当。
(私が、)「うれしいことが二つで、あの(頭の弁が)褒めなさるとかいうのに(加えて)、
また、思ふ人の中に侍り けるをなむ。」と言へば、
侍り=ラ変動詞「侍り(はべり)」の連用形、「あり・居り」の丁寧語。言葉の受け手である経房の中将を敬っている。作者(=清少納言)からの敬意。
ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形
なむ=強調の係助詞、結びは連体形となるが、直後に「知る(ラ行四段動詞・連体形)」・「うれしき(シク活用の形容詞・連体形)」などが省略されている。係り結びの省略。
ば=接続助詞、直前が已然形であり、②偶然条件「~ところ・~と」の意味で使われている。
また、(あなたの)『思い人』の中に(私が)ございましたのを(知って)。」と言うと、
「それめづらしう、今の事のやうにも喜び給ふ かな。」などのたまふ。
やうに=比況の助動詞「やうなり」の連用形
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連体形、尊敬語。動作の主体である作者(=清少納言)を敬っている。経房の中将からの敬意。
かな=詠嘆の終助詞
のたまふ=ハ行四段動詞「宣ふ(のたまふ)」の終止形。「言ふ」の尊敬語。動作の主体である経房の中将を敬っている。作者からの敬意。
(経房の中将は、)「それをめったにない、今初めて知ったことのようにお喜びになるなあ。」などとおっしゃる。