「黒=原文」・「赤=解説」・「青=現代語訳」
言はむ方なし。
言はむ方なし=言いようがない。
「言は(動詞・未然形)/む(婉曲の助動詞・連体形)/方(名詞、方法)/無し(ク活用形容詞・終止形)」
む=婉曲の助動詞「む」の連体形、接続は未然形。「む」は、文中に来ると「㋕仮定・㋓婉曲」のどれかである。直後にあるのが体言であれば婉曲になりがち。
(光源氏は、)なんとも言いようがない。
頼もしく、いかにと言ひ触れ給ふ べき人もなし。
いかに=副詞、どんなに、どう。
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の終止形、尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
※尊敬語は動作の主体を敬う
※謙譲語は動作の対象を敬う
※丁寧語は言葉の受け手(聞き手・詠み手)を敬う。
どの敬語も、その敬語を実質的に使った人間からの敬意である。
べき=可能の助動詞「べし」の連体形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。「べし」は㋜推量㋑意志㋕可能㋣当然㋱命令㋢適当のおよそ六つの意味がある。
頼みにできて、どうしたらよいかとご相談できる人もいない。
法師などをこそは、かかる方の頼もしきものには思す べけれ ど。
こそ=強調の係助詞
かかる=ラ変動詞「かかり」の連体形、このような、こういう
思す=サ行四段動詞「思す(おぼす)」の終止形、「思ふ」の尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
べけれ=当然の助動詞「べし」の已然形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。「べし」は㋜推量㋑意志㋕可能㋣当然㋱命令㋢適当のおよそ六つの意味がある。
ど=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく。
法師などこそ、このようなときの頼りになる者とお思いになるはずだけれども(、そのような者はいない)。
さ こそ強がり給へ ど、若き御心にて、
さ=副詞、そう、その通りに、そのように。
こそ=強調の係助詞。結びは已然形となるが、係り結びの消滅が起こっている。本来の結びは「給へ」の部分であるが、接続助詞「ど」が来ているため、結びの部分が消滅してしまっている。これを「係り結びの消滅(流れ)」と言う。「給へ」は已然形だが、これは「ど」を受けてのものである。
給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
ど=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく。
(光源氏は)そのように強がりなさるが、(年齢の)若いお心で、
言ふかひなく なり ぬるを見給ふに、やる方なくて、つと抱きて、
言ふかひなく=ク活用の形容詞「言ふ甲斐無し」の連用形、言っても仕方がない、言っても何にもならない、どうしようもない。情けない、つまらない。聞き分けがない。
なり=ラ行四段動詞「成る」の連用形
ぬる=完了の助動詞「ぬ」の連体形、接続は連用形
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連体形、尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
やる方なく=ク活用の形容詞「遣る方無し(やるかたなし)」の連用形、思いの晴らしようがない、仕方がない。
つと=副詞、じっと、ずっと、つくづく。さっと、急に。
(夕顔が死んで)どうしようもなくなってしまったのをご覧になると、やりようのない気持ちになって、じっと抱きしめて、
「あが君、生き出で給へ。いといみじき目な見せ給ひ そ。」
吾が君(あがきみ)=名詞、あなた
給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の命令形、尊敬語。動作の主体である夕顔を敬っている。光源氏からの敬意。
いみじき=シク活用の形容詞「いみじ」の連体形、(いい意味でも悪い意味でも)程度がひどい、甚だしい、とても。
な=副詞、そ=終助詞
「な~そ」で「~するな(禁止)」を表す。
給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。動作の主体である夕顔を敬っている。光源氏からの敬意。
「いとしの君よ、生き返ってください。(私に)ひどい目を見させないでください。」
とのたまへ ど、冷え入りに たれ ば、けはひものうとくなりゆく。
のたまへ=ハ行四段動詞「宣ふ(のたまふ)」の已然形。「言ふ」の尊敬語。おっしゃる。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
ど=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく。
に=完了の助動詞「ぬ」の連用形、接続は連用形
たれ=存続の助動詞「たり」の已然形、接続は連用形
ば=接続助詞、直前が已然形だから①原因・理由「~なので、~から」②偶然条件「~ところ・~と」③恒常条件「(~する)といつも」のどれかであるが、文脈判断をして①の意味でとる。ちなみに、直前が未然形ならば④仮定条件「もし~ならば」である。
ものうとく=ク活用の形容詞「もの疎し」の連用形、「もの」は「なんとなく」と言った意味。
疎し(うとし)=親しみがない、疎遠である。無関心だ。よそよそしい。
とおっしゃるけれど、冷え切ってしまっているので、(人としての)様子が薄くなっていく。
右近は、ただあなむつかしと思ひける心地みなさめて、泣き惑ふさまいといみじ。
あな=感動詞、ああ、あら、まあ
むつかし=シク活用の形容詞「難し(むつかし)」の終止形、気味が悪い、恐ろしい。不愉快だ、いやだ、見苦しい。わずらわしい。
ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形
泣き惑ふ=ハ行四段動詞「泣き惑ふ」の連体形、ひどく泣く、泣き乱れる。
惑ふ(まどふ)=補助動詞ハ行四段、ひどく ~する、とにかく ~する。
いみじ=シク活用の形容詞「いみじ」の終止形、(いい意味でも悪い意味でも)程度がひどい、甚だしい、とても。
右近は、ただああ気味が悪いと思っていた気持ちがすっかり消えて、とにかく泣く様子は本当にひどいものである。
南殿の鬼の、なにがしの大臣おびやかしける例を思し出でて、心強く、
なにがし=だれそれ。どこそこ。何とか。
ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形
例(ためし)=名詞、例、先例
思し出で=ダ行下二段動詞「思し出づ(おぼしいづ)」の連用形、「思ひ出づ」の尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
(光源氏は、)紫宸殿の鬼がなんとかいう大臣を脅かした例を思い出しなさって、心強く、
※紫宸殿(ししんでん)=宮中の一部で、重要な儀式を行う場所。南殿。
「さりとも、いたづらになり果て給は じ。
さりとも=接続詞、そうであっても。いくらなんでも。「今は~だとしてもこれからは~だろうと」といった意味。
いたづらに=ナリ活用の形容動詞「徒なり(いたづらなり)」の連用形、むだである。むなしい。ここでは「死ぬ」と言う意味で使われている。現代語でもそうだが、古典において「死ぬ」という言葉を直接使うことは避けるべきこととされており、「亡くなる・消ゆ・隠る」などと言ってにごす。
給は=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の未然形、尊敬語。動作の主体である夕顔を敬っている。光源氏からの敬意。
じ=打消推量の助動詞「じ」の終止形、接続は未然形
「そうであっても、死んでしまわれることはないだろう。
夜の声はおどろおどろし。あなかま。」
おどろおどろし=シク活用の形容詞「おどろおどろし」の終止形、恐ろしい、気味が悪い。おおげさだ、ものすごい。
あなかま=「ああ、うるさい。」、「静かにしなさい。」
あな+形容詞の語幹=感動文「ああ、~」
かま=シク活用の形容詞「かまし」の語幹、やかましい、うるさい。
夜中の泣き声はおおげさに聞こえる。静かにしなさい。」
と諌め給ひて、いとあわたたしきにあきれ たる心地し給ふ。
給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
あきれ=ラ行下二段動詞「呆る(あきる)」の連用形、途方に暮れる
たる=存続の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の終止形、尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
とお諫めになって、たいそう急なことに途方にくれる気持ちがなさる。