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大鏡『菅原道真の左遷』現代語訳(1)(2)

「黒=原文」・「青=現代語訳

解説・品詞分解はこちら大鏡『菅原道真の左遷』解説・品詞分解(1)

 

(だい)()(みかど)(おおん)(とき)、この大臣(おとど)、左大臣の位にて年いと若くておはします。

 

醍醐天皇の御代(みよ)に、この大臣(=藤原時平)は、左大臣の位で歳はたいそう若くていらっしゃいます。

 

 

菅原(すがわら)の大臣、右大臣の位にておはします。その折、帝御年いと若くおはします。

 

菅原の大臣(=菅原道真)は右大臣の位でいらっしゃいます。その時、帝はたいそう若くていらっしゃいます。

 

 

()()の大臣に世の(まつりごと)を行ふべきよし(せん)()下さしめ(たま)へりしに、

 

左右の大臣(=道真と時平)に世の中の政治を行うようにという旨の宣旨を(帝が)下しなさったのだが、

 

 

その折、左大臣、御年二十八、九ばかりなり。

 

その時、左大臣(=藤原時平)のお年は、28、9ぐらいであった。

 

 

右大臣の御年五十七、八にやおはしましけむ。

 

右大臣(=菅原道真)のお年は57、8でいらっしゃっただろう。

 

 

ともに世の(まつりごと)をせしめ(たま)ひし間、

 

(道真と時平が)一緒に政治をなさっていた間、

 

 

右大臣は(ざえ)世にすぐれめでたくおはしまし、御心おきても、ことのほかにかしこくおはします。

 

右大臣(=菅原道真)は(学問などの)才能に優れ、すばらしくていらっしゃり、お心配りも、格別に優れていらっしゃいます。

 

 

左大臣は御年も若く、才もことのほかに劣り給へるにより、右大臣の御おぼえことのほかにおはしましたるに、

 

左大臣(=藤原時平)はお年も若く、(学問などの)才能も格別に劣っていらっしゃったために、右大臣の(帝からの)信頼は格別でいらっしゃったので、

 

 

左大臣安からず(おぼ)したるほどに、

 

左大臣は心穏やかでなくお思いになっているうちに、

 

 

さるべきにやおはしけむ、

 

そうなるはずの運命でございましたのでしょうか、

 

 

右大臣の御ためによからぬこと出で来て、

 

右大臣のために良くないことが起こって、

 

 

(しょう)(たい)四年()(つき)二十五日、大宰権帥(だざいのごんのそち)になしたてまつりて、流され給ふ。

 

昌泰四年正月二十五日に、(朝廷が右大臣の菅原道真を)大宰権帥に任命申し上げて、(菅原道真は大宰府へ)流されなさいました。



(2)

 

この大臣(おとど)、子どもあまたおはせに、

 

この大臣(=菅原道真)には、子供がたくさんいらっしゃったが

 

 

(おんな)(ぎみ)たちは婿(むこ)取り、(おとこ)(ぎみ)たちは皆、ほどほどにつけて位どもおはせを、

 

娘たちは結婚し、息子たちはみな、年齢や才能に応じて官位がおありだったが、

 

 

それも皆方々に流され給ひてかなしきに、

 

その子たちも皆あちこちに流されなさって悲しい上に、

 

 

幼くおはしける男君・女君たち慕ひ泣きておはしければ、

 

幼くておられた息子・娘たちは、父(=菅原道真)を慕って泣いていらっしゃったので、

 

 

「小さきはあへなむ。」と、

 

「幼い子は(一緒に連れて行くのも)しかたがない。」と、

 

 

おほやけも許させ給ひしぞかし。

 

朝廷もお許しになったことだよ。

 

 

帝の御おきて、きはめてあやにくにおはしませば、

 

帝のご処置は、たいそう厳しくございましたので、

 

 

この御子(みこ)どもを、同じ方に(つか)はさざりけり

 

このお子様たちを、(菅原道真と)同じ方面にお送りにはならなかった。

 

 

方々にいとかなしく(おぼ)()して、()(まえ)の梅の花を御覧じて、

 

(菅原道真は)あれこれとたいそう悲しく思いなさって、お庭の梅の花をご覧になって、(和歌をお詠みになり、)

 

 

東風(こち)吹かば  にほひおこせよ  梅の花  あるじなしとて  を忘るな

 

東から風が吹くならば、花の香りを(私が流される大宰府まで)送り届けてくれ、梅の花よ。主人がいないからといって、春を忘れるなよ。

 

 

また、(てい)()の帝に聞こえさせ給ふ

 

また、亭子の帝(=宇多天皇)に申し上げなさった歌、

 

 

流れゆく  われは()(くず)  なり果てぬ  君しがらみと  なりてとどめよ

 

地方に流されていく私は水中のごみのように成り果ててしまった。我が君よ、しがらみとなって私を引き止めてください。

※柵(しがらみ)=名詞、川の流れをせき止めるために、杭を打ち並べて竹などを横に結びつけたもの。せきとめるもの。

 

 

なきことにより、かく罪せられ給ふを、かしこく(おぼ)(なげ)きて、

 

(菅原道真は)無実の罪によって、このように処罰されなさるのを、非常にお嘆きになって、

 

 

やがて山崎にて出家せしめ給ひて、

 

すぐに(太宰府までの道中にある)山崎で出家なさって、

 

 

都遠くなるままに、あはれに心細く思されて、

 

都が遠くなるにつれて、しみじみと心細くお思いになって、(和歌をお詠みになり、)

 

 

君が住む  宿の(こずえ)  ゆくゆくと  隠るるまでも  返り見しはや

 

あなたが住んでいる家の梢を、道を行きながら、隠れて見えなくなるまで振り返って見たことだよ。



 

また、(はり)()の国におはしまし着きて、明石(あかし)の駅といふ所に御宿りしめ給ひて、

 

また、播磨の国にご到着になって、明石の駅という所にお泊まりなさって、

 

 

駅の長のいみじく思へる()(しき)御覧じて、作らしめ給ふ詩、いとかなし。

 

(そこの)駅長がひどく悲しく思っている様子を(菅原道真が)ご覧になって、お作りになった漢詩は、たいそう悲しい。

 

 

駅長莫カレクコト変改

(えき)(ちょう)(おどろ)()(とき)(へん)(がい)

※「莫カレ ~(スル)(コト)」=禁止、「 ~(する)(こと)莫かれ」、「 ~してはならない」

駅長よ、時の移り変わりを驚いてはいけない。

 

 

一栄一落春秋

(いち)(えい)(いち)(らく)()(しゅん)(じゅう)

 

春に花が咲き栄えて、秋には散ってしまうは、時の流れというものなのだから。

 

 

続きはこちら大鏡『菅原道真の左遷』現代語訳(3)

 

大鏡『菅原道真の左遷』解説・品詞分解(1)

 

大鏡『菅原道真の左遷』解説・品詞分解(2)

 

大鏡『菅原道真の左遷』まとめ

 

 

 

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