古文

徒然草『主ある家には』現代語訳

「黒=原文」・「青=現代語訳

解説・品詞分解はこちら徒然草『主ある家には』解説・品詞分解

 

主ある家には、すずろなる人、心のままに入り来る事なし。

 

主人のいる家には、何の関係もない人が、勝手に入って来ることはない。

 

 

あるじなき所には、道行き人みだりに立ち入り、きつね・ふくろふやうの物も、(ひと)()かれねば、

 

主人のいない所には、道行く人がむやみに立ち入ったり、きつねやふくろうのようなものも、人の気配に妨げられないので、

 

 

(ところ)()(がお)に入り棲み、木霊など云ふ、けしからぬ形も現るるなり。

 

得意顔で入って住みつき、木の精霊などという、奇妙な形のものも現れるものである。

 

 

また、鏡には、色・かたちなき故に、よろづの影来たりて映る。

 

また、鏡には、色・形がないために、あらゆるものの影がやって来て映る。



 

鏡に色・かたちあらましかば、映らざらまし。

 

もし鏡に色・形があったとしたら、(なにも)映らないだろうに。

 

 

虚空よく物を入る。われらが心に念々の欲しきままに来たり浮かぶも、心といふもののなきにやあらむ。

 

何もない空間は、物を入れることができる。我々の心に、さまざまな雑念が思うままにやって来て浮かぶのも、心というもの(に実体)がないからであろうか。

 

 

心に主あらましかば、胸の中に、そこばくの事は入り来たらざらまし。

 

心に主人がいるならば、胸のうちに、いろいろなこと(=雑念)は入って来ないだろう。

 

 

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