(若紫との出会い)
「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら源氏物語『若紫/北山の垣間見』解説・品詞分解(4)
尼君、髪をかきなでつつ、「けづることをうるさがり給へど、をかしの御髪や。
尼君は、(若紫の)髪をかきなでながら、「髪をとくことを嫌がりなさるけれど、きれいなお髪ですね。
いとはかなうものし給ふこそ、あはれに後ろめたけれ。
たいそう頼りなくていらっしゃるのが、(今後のことを考えると)かわいそうで心配です。
かばかりになれば、いとかからぬ人もあるものを。
このくらい(の年齢)になると、それほど(幼げ)ではない人もあるのに。
故姫君は、十ばかりにて殿に後れ給ひしほど、いみじうものは思ひ知り給へりしぞかし。
亡くなった(あなたの母である)姫君は、十歳ぐらいで(父の)殿に先立たれなさったころ、たいそう物事をわきまえていらっしゃたのですよ。
ただ今おのれ見捨て奉らば、いかで世におはせむとすらむ。」とて、
たった今私が(あなたを残して先立ち)お見捨て申し上げたならば、(あなたは今後を)どのようにしてこの世に生きていらっしゃろうとするのでしょう。」と言って、
いみじく泣くを見給ふも、すずろに悲し。
ひどく泣くのを(光源氏が)御覧になるのにつけても、なんとなく悲しい。
幼心地にも、さすがにうちまもりて、伏し目になりてうつぶしたるに、こぼれかかりたる髪、つやつやとめでたう見ゆ。
(若紫は)子ども心にも、やはりじっと(尼君を)見つめて、ふしめになってうつむいているところに、垂れかかっている髪は、つやつやと美しく見える。
生ひ立たむ ありかも知らぬ 若草を 後らす露ぞ 消えむ空なき
これから成長していく先もわからない若草(のような子)を、後に残してしまう露(のようにはかない命の私)は、消えようにも消えゆく空がありません。
※比喩表現として、若紫のことを「若草」、尼君を「露」とたとえており、若紫を残して尼君自身が死んでしまったらどうなるだろうかと嘆いている。
またゐたる大人、「げに。」とうち泣きて、
(と尼君が詠むと、)もう1人いた年配の女房が、「ほんとに。」と泣いて、
初草の 生ひゆく末も 知らぬ間に いかでか露の 消えむとすらむ
芽吹き始めたばかりの初草(のような姫君)が成長してゆく将来も知らないうちに、どうして露(のように尼君)は消えようとしているのでしょうか。
と聞こゆるほどに、僧都あなたより来て、
と申し上げているところに、僧都があちらから来て、
「こなたはあらはにや侍らむ。
「こちらは(外から)丸見えではありませんか。
今日しも端におはしましけるかな。
今日に限って端においでになったことですね。
この上の聖の方に、源氏の中将の、瘧病まじなひにものし給ひけるを、ただ今なむ聞きつけ侍る。
この上の聖(=高徳な僧)の所に、源氏の中将が、おこりの病のまじないにいらっしゃったことを、たった今聞きつけました。
いみじう忍び給ひければ、知り侍らで、
たいそう人目を忍んでいらっしゃったので、(私も)知りませんで、
ここに侍りながら、御とぶらひにもまうでざりける。」とのたまへば、
ここにおりながら、お見舞いにも参りませんでした。」とおっしゃると、
「あないみじや。いとあやしきさまを人や見つらむ。」とて簾下ろしつ。
「まあ大変なことだわ。たいそう見苦しい様子を、だれか見てしまったでしょうか。」と(尼君は)言って簾を下してしまった。
「この世にののしり給ふ光源氏、かかるついでに見奉り給はむや。
(僧都は)「世間で評判になっていらっしゃる光源氏を、このような機会に見申し上げなさいませんか。
世を捨てたる法師の心地にも、いみじう世の愁へ忘れ、齢伸ぶる人の御ありさまなり。
世を捨てた法師の気持ちにも、たいそう世の中のつらいことを忘れ、寿命が延びるような方のご様子である。
いで御消息聞こえむ。」とて立つ音すれば、帰り給ひぬ。
さあご挨拶を申し上げましょう。」と言って立つ音がするので、(光源氏は)お帰りになった。