(若紫との出会い)
「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら源氏物語『若紫/北山の垣間見』解説・品詞分解(1)
日もいと長きに、つれづれなれば、夕暮れのいたうかすみたるに紛れて、
日もたいそう長いのに、何もすることがなく退屈なので、(光源氏は)夕暮れでひどくかすんでいるのに紛れて、
かの小柴垣のもとに立ち出でたまふ。
例の小柴垣の所へお出かけになる。
人々は帰し給ひて、惟光朝臣とのぞき給へば、ただこの西面にしも、
(他のお供の)人々はお帰しになって、惟光の朝臣とおのぞきになると、すぐ(目の前の)西向きの部屋に、
持仏据ゑ奉りて、行ふ尼なりけり。
持仏をお据え申し上げて、勤行している(のは)尼であった。
簾少し上げて、花奉るめり。
簾を少しまき上げて、花をお供えするようである。
中の柱に寄りゐて、脇息の上に経を置きて、
部屋の中央にある柱に寄りかかって座り、脇息の上にお経を置いて
いとなやましげに読みゐたる尼君、ただ人と見えず。
たいそうだるそうに(お経を)読んでいる尼君は、普通の身分の人とは思えない。
四十あまりばかりにて、いと白うあてにやせたれど、つらつきふくらかに、
四十過ぎぐらいで、たいそう色白く上品にやせているけれど、顔つきはふっくらとしていて、
まみのほど、髪のうつくしげにそがれたる末も、
目元のあたりや、髪の毛がきれいに切りそろえられている毛先も
なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかなと、あはれに見給ふ。
かえって長い(髪)よりもこの上なく現代風なものだなあと、しみじみと(心を動かされて)御覧になる。
(2)
清げなる大人二人ばかり、さては童べぞ出で入り遊ぶ。
こぎれいな女房が二人ほど、それから召使の少女たちが(部屋を)出たり入ったりして遊んでいる。
中に十ばかりにやあらむと見えて、白き衣、山吹などのなえたる着て、走り来たる女子、
(その遊んでいる少女たちの)中に十歳ぐらいであろうかと思われて、白い下着に、山吹がさねなどの着慣れて柔らかくなったのを着て走ってきた女の子は、
※若紫の登場
あまた見えつる子供に似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えて、うつくしげなるかたちなり。
(その若紫は、)大勢見えていた他の少女たちとは比べられるはずがないほどに、たいそう成長後(の美しさ)が見えて、かわいらしい容貌である。
髪は扇を広げたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。
髪は扇を広げたようにゆらゆらとして、顔は(手で)こすってひどく赤くして立っている。
「何事ぞや。童べと腹立ち給へるか。」とて、尼君の見上げたるに、
「何事ですか。子供たちとけんかでもなさったのですか。」と言って、尼君が見上げている顔に、
少しおぼえたるところあれば、子なめりと見給ふ。
(その尼君の顔に)少し似ているところがあるので、(その泣いている少女は)尼君の娘なのだろうと(光源氏は)御覧になる。
「すずめの子を犬君が逃がしつる。伏籠のうちにこめたりつるものを。」とて、いと口惜しと思へり。
「雀の子を犬君が逃がしてしまったの。伏籠の中に入れておいたのに。」と言って、たいそう残念だと思っている。
このゐたる大人、「例の、心なしの、かかるわざをしてさいなまるるこそ、いと心づきなけれ。
この座っている女房が、「いつもの、うっかり者(=犬君のこと)が、このようなこと(=雀を逃がしたこと)をして叱られるのは、とても気に食わない。
いづ方へかまかりぬる。
どこへ出て行ったのか。
いとをかしう、やうやうなりつるものを。
たいそうかわいらしく、だんだんなってきたのに。
からすなどもこそ見つくれ。」とて立ちて行く。髪ゆるるかにいと長く、目安き人なめり。
カラスなどが見つけたら大変だ。」と言って立って行く。髪はゆったり(ふさふさ)としてたいそう長く、見た目の悪くない人(=感じがよい)人のようである。
少納言の乳母とぞ人言ふめるは、この子の後見なるべし。
少納言の乳母と(他の)人が呼んでいるような人は、この子の世話役なのだろう。
※光源氏は幼いころに亡くした母(桐壷の更衣)によく似た藤壺の更衣に対して恋心をずっと持っていた。
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かなわない恋であったため、満たされない思いからあちこちの女性に手を出した。
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夕顔の死をきっかけに病気を患う。
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病気を治すために来た寺で藤壺によく似た若紫に出合った。
続きはこちら源氏物語『若紫/北山の垣間見』現代語訳(3)