「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら玉勝間『師の説になづまざること』(1)解説・品詞分解
おのれ古典を説くに、師の説と違へること多く、
私が古典を説明する際に、先生の学説と食い違っていることが多く、
師の説のわろきことあるをば、わきまへ言ふことも多かるを、
先生の説の正しくないことがあるのを、判別してあれこれ言うことも多いのを、
いとあるまじきことと思ふ人多かめれど、これすなはちわが師の心にて、
全くあってはならないことだと思う人が多いようだけれど、これがそのまま私の先生の考えであって
常に教へられしは、「のちによき考えの出で来たらんには、
(先生が)いつもお教えになったことは、「後でよい考えがもしも出てきた場合には、
必ずしも師の説にたがふとて、なはばかりそ。」
必ずしも先生の説と食い違うからといって、遠慮してはならない。」
となむ、教へられし。
と、お教えになった。
こはいと尊き教へにて、我が師の、よにすぐれ給へる一つなり。
これはたいそう尊い教えであって、私の先生が、実に優れていらっしゃったことの一つである。
おほかた、いにしへを考ふること、さらに一人二人の力もて、ことごとくあきらめ尽くすべくもあらず。
およそ一般的に、古代のことを考えることは、決して一人や二人の力で、すべて明らかにしつくすことはできない。
また、よき人の説ならむからに、多くの中には、誤りなどかなからむ。
また、優れた人の説であるからといっても、多くの(学説の)中には、どうしても誤りなどないだろうか。(いや、あるに違いない。)
必ずわろきこともまじらではえあらず。
必ず正しくないことも混じらないではいられない。
そのおのが心には、「今はいにしへの心ことごとく明らかなり。これをおきては、あるべくもあらず。」
その人自身の心には、「今は古代の精神はすべて明らかである。この説以外には、あるはずもない。」
と思ひ定めたることも、思ひのほかに、また人のことなるよき考への出で来るわざなり。
と思い定めたことも、意外なことに、また他の人の異なる良い考えが出て来るものである。
あまたの手を経るまにまに、先々の考えの上を、なほよく考へ究むるからに、
たくさんの人の検討を経るにつれて、以前の考え以上に、さらによく考え究めていくので、
次々に詳しくなりもてゆくわざなれば、師の説なりとて、
次々に詳しくなっていくものであるから、先生の説であるといって、
必ずなづみ守るべきにもあらず。
必ずしもこだわり守るべきことでもない。
よきあしきを言はず、ひたぶるに古きを守るは、学問の道には言ふかひなきわざなり。
(学説が)良いか悪いかを言わず、ひたすらに古い説を守るのは、つまらない行いである。
また、おのが師などのわろきことを言ひ表すは、いともかしこくはあれど、
また、自分の先生などの(学説が)正しくないことを言い表すのは、とても恐れ多くはあるけれど、
それも言はざれば、世の学者その説に惑ひて、長くよきを知る期(ご)なし。
それも言わなければ、世の学者はその(先生の正しくない)説に悩んで、長い間正しい説を知る機会が無い。
師の説なりとて、わろきを知りながら、言はず、つつみ隠して、よざまにつくろひをらむは、
先生の説であるとして、正しくないことを知りながら、言わず、つつみ隠して、よいように取りつくろっているようなのは、
ただ師のみを尊みて、道をば思はざるなり。
ただ先生ばかりを尊んで、学問の道を(大切に)思わないのである。
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