フロンティア古典教室

『進んで赤壁に遭ふ(赤壁之戦)』原文・書き下し文・現代語訳

   

青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・解説=赤字

 

 

曹操撃劉表。表卒。子琮挙ゲテ荊州

(そう)(そう)(りゅう)(ひょう)()つ。(ひょう)(しゅつ)す。()(そう)(けい)(しゅう)()げて(そう)(くだ)る。

 

曹操は、劉表を攻撃した。劉表は死んだ。子の劉琮は、荊州全土を挙げて曹操に降伏した。

 

 

劉備奔江陵、操追。備走夏口

(りゅう)()(こう)(りょう)(はし)り、(そう)(これ)()ふ。()()(こう)(はし)る。

 

劉備は、江陵へ逃げ、曹操はこれを追った。劉備は、夏口に逃げた。

 

 

操進江陵、遂

(そう)(ぐん)(こう)(りょう)(すす)め、(つい)(ひがし)(くだ)る。

 

曹操は軍を江陵に進め、そのまま東に進軍した。

 

 

亮謂ヒテハク、「請メントヒヲ於孫将軍。」

(りょう)()()ひて()く、「()(すく)ひを(そn)(しょう)(ぐん)(もと)めん。」と。

 

諸葛亮が劉備に向かって言うことには「どうか救援を(呉の)孫将軍に求めていただきたい」と。

 

 

亮見エテ。権大イニ

(りょう)(けん)(まみ)えて(これ)()く。(けん)(おお)いに(よろこ)ぶ。

 

諸葛亮は、孫権に謁見し、このこと(=救援)について説いた。孫権は大いに喜んだ。

 

 

操遺リテハク、「今治水軍八十万()将軍セント於呉。」

(そう)(けん)(しょ)(おく)りて()はく、「(いま)(すい)(ぐん)(はち)(じゅう)(まん)(しゅう)(おさ)め、(しょう)(ぐん)()(かい)(りょう)せん。」と。

※於=置き字(場所)

曹操は孫権に書状を送って、「今、水軍八十万の軍隊を引き連れ、将軍と呉にて決戦したい。」と伝えた。

 

 

権以ツテ群下。莫ルハ。張昭請ヘント

(けん)()つて(ぐん)()(しめ)す。(いろ)(うしな)はざるは()し。(ちょう)(しょう)(これ)(むか)へんと()ふ。

※「莫ル(ハ)(セ)」=二重否定(強い肯定)、「Aしないものはない」

孫権はこれを家臣たちに示した。顔色を変えない者はいなかった。張昭は、(降伏して)曹操の軍を迎え入れようと願い出た。

 

 

魯粛以ツテ不可、勧メテサシム周瑜

()(しゅく)()つて()()()し、(けん)(すす)めて(しゅう)()()さしむ。

 

魯粛は(軍を迎え入れることは)できないとして、孫権に周瑜を呼ぶよう勧めた。

 

 

瑜至リテハク、「請数万精兵、進ンデ夏口、保シテ将軍ラント。」

()(いた)りて()はく、「()(すう)(まん)(せい)(へい)()て、(すす)んで()(こう)()き、(ほう)(しょう)(ぐん)(ため)(これ)(やぶ)らん。」と。

 

周瑜が到着して言うことには、「どうか数万の精鋭をいただきまして、進めて夏口に行き、責任もって将軍のために曹操を打ち破りましょう。」と。

 

 

権抜リテ奏案ハク

(けん)(かたな)()(まえ)(そう)(あん)()りて()はく、

 

孫権は刀を抜いて目の前にある上奏文を置くための机を切って言うことには、

 

 

「諸将吏敢ヘテヘント()ジカラント。」

(しょ)(しょう)()()へて(そう)(むか)へんと()(もの)は、()(あん)(おな)じからん。」と。

 

「将軍や役人たちで、あえて曹操を迎え入れようと言う者は、この机と同じになる。」と。

 

 

ツテセシメ三万人()備幷セテ、進ンデ於赤壁

(つい)()()つて(さん)(まん)(にん)(とく)せしめ、()(ちから)(あわ)せて(そう)(むか)へ、(すす)んで(せき)(へき)()ふ。

 

こうして周瑜に三万の精鋭を率いさせ、劉備と力を合わせて曹操を迎え撃とうと、進めて赤壁で遭遇した。

 

 

部将黄蓋曰ハク、「操軍方船艦、首尾相接。可キテ而走ラス(なり)。」

()()(しょう)(こう)(がい)()はく、「(そう)(ぐん)(まさ)(せん)(かん)(つら)ね、(しゅ)()(あい)(せっ)す。()きて(はし)らすべきなり。」と。

※而=置き字(順接・逆接)

周瑜の武将の黄蓋が言うことには、「曹操の軍は今ちょうど船艦を連結して、船首と船尾とが互いにつながっています。焼き討ちにして敗走させるべきであります。」。

 

 

蒙衝・闘艦十艘、載燥荻・枯柴、灌、裹帷幔、上旌旗

(すなわ)(もう)(しょう)(とう)(かん)(じっ)(そう)()り、(そう)(てき)()(さい)()せ、(あぶら)()(なか)(そそ)ぎ、()(まん)(つつ)み、(うえ)(せい)()()つ。

 

そこで軍船・軍艦十艘を選んで、乾燥した(おぎ)や枯れた(しば)を載せ、油をその中に注ぎ、幕で包み、その上に軍旗を立てた。

 

 

走舸、繫於其

(あらかじ)(そう)()(そな)へ、()()(つな)ぐ。

 

あらかじめ軽快な小舟を準備し、その船尾につないだ。

 

 

ツテ、詐リテストラント。時東南風急ナリ

()(しょ)()つて(そう)(おく)り、(いつわ)りて(くだ)らんと(ほっ)すと()す。(とき)(とう)(なん)(かぜ)(きゅう)なり。

 

まず書状を曹操に送り、偽って降伏したいと申し出た。ちょうどそのとき、東南の風が強く吹いていた。

 

 

蓋以ツテ十艘、中江、余船以ツテ

(がい)(じっ)(そう)()つて(もっと)(まえ)()け、(ちゅう)(こう)()()げ、()(せん)()()つて(とも)(すす)む。

 

黄蓋は十艘を先頭にして、川の中程で帆を上げ、その他の船は順序に従ってともに進んだ。

 

 

軍皆指サシテ、「蓋降ルト。」

(そう)(ぐん)(みな)(ゆび)さして()ふ、「(がい)(くだ)る。」と。

 

曹操の軍では皆指さして、「黄蓋が降伏してきた。」と言っていた。

 

 

ルコト二里余、同時。火烈シク風猛、船クコト(ごと)

()ること()()(あま)り、(どう)()()(はっ)す。()(はげ)しく(かぜ)(たけ)く、(ふね)()くこと()のごとし。

 

(曹操の軍から)二里余りの所で、同時に火をつけた。火は激しく燃え風も猛烈に吹き、船は矢のように進んでいった。

 

 

クシ北船、烟焰漲。人馬溺焼、死者甚

(ほく)(せん)()()くし、(えん)(えん)(てん)(みなぎ)る。(じん)()(でき)(しょう)し、()する(もの)(はなは)(おお)し。

 

北軍の船を焼き尽くし、煙や炎は空一面に広がった。人や馬はおぼれたり焼けたりして、死んだ者は非常に多かった。

 

 

瑜等率ヰテ軽鋭、雷鼓シテイニ。北軍大イニ、操走

()()(けい)(えい)(ひき)ゐて、(らい)()して(おお)いに(すす)(ほく)(ぐん)(おお)いに(やぶ)れ、(そう)(はし)(かえ)る。

 

周瑜らは身軽な精鋭を率いて、太鼓を打ち鳴らして進撃した。北軍は大敗し、曹操は逃げ帰った。

 

 

後屢加フレドモ於権、不。操歎息シテハク

(のち)(しばしば)(へい)(けん)(くわ)ふれども、(こころざし)()ず。(そう)(たん)(そく)して()はく、

 

後にたびたび孫権に兵を仕向けたが、目的を果たせなかった。曹操が、ため息をついて言ったことには、

 

 

「生マバ(まさ/べ)ニ/シクナル孫仲謀。向者劉景昇児子、豚犬ナル(のみ)。」

()()まば(まさ)(そん)(ちゅう)(ぼう)のごとくなるべし。()()(りゅう)(けい)(しょう)()()(とん)(けん)なるのみ。」と。

※当=再読文字、「当(まさ)に~べし」「~すべきである・きっと~のはずだ」

「子を生むならば、孫仲謀のようであってほしい。先に降伏した劉表の子(=劉琮たち)は、豚や犬のような愚か者でしかない。」と。

 

 

 一部の問題はこちら『赤壁之戦』問題

 

『赤壁之戦・進んで赤壁に遭ふ』まとめ

 

 

 

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