古文

紫式部日記『和泉式部と清少納言』現代語訳(1)(2)

「黒=原文」・「青=現代語訳

 解説・品詞分解はこちら紫式部日記『和泉式部と清少納言』解説・品詞分解(1)

 

和泉式部(いずみしきぶ)といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。

 

和泉式部という人は、趣深く手紙をやり取りした(人です)。

 

 

されど、和泉はけしからぬかたこそあれ。

 

しかし、和泉式部には感心しない面がある。

 

 

うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉の、にほひも見え(はべ)るめり。

 

気軽に手紙を走り書きした時に、その方面の才能のある人で、ちょっとした言葉の、つやのある美しさも見えるようです。

 

 

歌は、いとをかしきこと。

 

歌は、たいそう興味深いものですよ。

 

 

ものおぼえ、歌のことわり、まことの歌よみざまにこそ侍らざめれ、

 

古歌についての知識や、歌の理論、本物の歌人というふうではないようですが、

 

 

口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目にとまるよみ添へ侍り。

 

口にまかせて詠んだ歌などに、必ず趣深い一点で、目にとまるものが詠み添えてあります。

 

 

それだに、人の詠みたらむ歌難じことわりゐたらむは、

 

それほど(の歌人)であるのに、他の人が詠んだ歌を非難したり批評したりしているようなのは、

 

 

いでやさまで心は得じ、

 

いやもうそれほどまで(和歌を)心得てはおらず、

 

 

口にいと歌も詠まるるなめりとぞ、見えたるすぢには侍るかし。

 

口をついて実に自然と歌が詠まれるようだと、思われる(和歌の)作風でございますよ。

 

 

恥づかしげの歌詠みやとはおぼえ侍らず。

 

(こちらが)恥ずかしくなるほどのすばらしい歌人だなとは思われません。



(2)

 

清少納言こそしたり顔にいみじう侍りける人。

 

清少納言は、得意顔でとても偉そうにしておりました人(です)。

 

 

さばかりさかしだち、真名(まな)書きちらして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。

 

あれほど利口ぶって、漢字を書き散らしております(その)程度も、よく見ると、まだたいそう足りないことが多い。

 

 

かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、

 

このように、人より特別優れていようと思いたがる人は、必ず見劣りし、

 

 

行く末うたてのみ侍れば、艶になりぬる人は、

 

将来は悪くなるだけでございますので、風流ぶるようになってしまった人は、

 

 

いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、

 

ひどくもの寂しくてつまらない時も、しみじみと感動しているようにふるまい、

 

 

をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにも侍るべし。

 

趣のあることも見過ごさないうちに、自然とそうあってはならない誠実でない態度にもなるのでしょう。

 

 

そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らむ。

 

その誠実でなくなってしまった人の最期は、どうしてよいことでありましょうか。(いや、よくないでしょう。)

 

 

 紫式部日記『和泉式部と清少納言』解説・品詞分解(1)

 

 紫式部日記『和泉式部と清少納言』まとめ

 

 

 

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